麻は日本では古くから栽培され、麻布や麻縄などに利用されてきた。
芥子は桃山時代から江戸時代に渡来し、さまざまな園芸品種が作られ、昭和二十九年のあへん法施行まではたくさんの芥子園があり花見る人に溢れていた。
麻も芥子も日本人にとって身近なものであったにもかかわらず、それを吸引してトリップしようとする者はなかったし、そういう薬物文化は日本では無縁だった。あやまって麻を焼く煙を吸い込むことはあっただろうけど、とにかくそういう文化は生まれなかった。
日本人にとって薬物は戦後に急速に広まったヒロポンからで、あとは六十年代のドラッグカルチャーの影響が大きい。
日本人が薬物に厳しいのはヒロポンの怖さが一番最初にあったことと、それ以前にそもそもドラッグの習慣がなかったことだ。あるのは煙草くらいだった。
まあ、作品には罪はないし、薬物をやったアーチストの作品を自粛するようになったのはごく最近のことで、多分スポンサーサイドの過剰反応だろう。ただでさえ映画業界はコロナで興行延期されたり、入場が制限されたりして苦しいところだ。「経済を回せ」というなら、なおさら上映した方がいい。
それでは「ぬれて行や」の巻の続き。
十七句目。
雷あがる塔のふすぼり
世に住ば竹のはしらも只四本 亨子
竹柱はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 枝をはらった竹の幹を用いた家の柱。
※池田家文庫本唯心房集(12C後)「よをいとふくさのいほりのたけはしらたてたるすぢのむつましきかな」
とある。
十八句目。
世に住ば竹のはしらも只四本
朝露きゆる鉢のあさがほ 李邑
朝顔の鉢に四本の竹の柱を立てる。これが朝顔の世の棲家。
十九句目。
朝露きゆる鉢のあさがほ
夜もすがら虫には声のかれめなき 夕市
朝露は消えても虫は鳴き続ける。
二十句目。
夜もすがら虫には声のかれめなき
むかしを恋る月のみささぎ 斧卜
「みささぎ」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「《古くは「みさざき」》天皇・皇后などの墓所。御陵(ごりょう)。みはか」
とある。ただ、和歌の言葉ではないようだ。
月夜の御陵に昔を偲ぶ。
二十一句目。
むかしを恋る月のみささぎ
ちりかかる花に米搗里ちかき 塵生
米は玄米で保存し、食べる時に精米するのが良いとされている。そのため米搗きに特に季節はない。
米搗く里というのは、白米を食べる裕福な里という意味もあるのだろう。御陵に眠っている人の恩恵でということか。
二十二句目。
ちりかかる花に米搗里ちかき
雛うる翁道たづねけり 視三
当時のひな人形は紙製や布製の立ち雛飾りが主流で、かさばらないので振り売りで売りに来た。都会だけでなく、田舎の方にも売りに来る人がいたのだろう。
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