「あなむざんやな」の巻の続き。
十三句目。
玉子貰ふて戻る山もと
柴の戸は納豆たたく頃静也 芭蕉
納豆は秋から冬にかけて仕込むもので、2020年7月5日の俳話の、「早苗舟」の巻三十句目、
切蜣の喰倒したる植たばこ
くばり納豆を仕込広庭 孤屋
の時にも触れた。肉を食べないお坊さんには貴重な蛋白源だった。
納豆をたたくというのは、ひきわり納豆のことだろう。それに卵があれば完璧だ。
十四句目。
柴の戸は納豆たたく頃静也
朝露ながら竹輪きる藪 亨子
竹輪はここでは「ちくわ」ではなく「たけわ」のようだ。藪で切るのだから本物の竹のわっかなのだろう。竹輪は紋に描かれるときには細い竹を輪にしたものが描かれているから、竹の輪切りではなく、切った細い竹を輪にしたものなのだろう。何に用いるかはよくわからない。茅の輪のように神事に用いるのだろうか。
十五句目。
朝露ながら竹輪きる藪
鵙落す人は二十にみたぬ㒵 皷蟾
2020年7月13日の俳話で「早苗舟」に巻六十五句目に、
なめすすきとる裏の塀あはひ
めを縫て無理に鳴する鵙の声 孤屋
の句があったが、そのときの曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』に、
「[紀事]山林の間、囮に鵙の目を縫ひ、架頭に居(すゑ)、傍に黐竿を設て鵙鳥を執る。是を鵙を落(おとす)と云。」
とある。囮を使った鵙猟を「鵙を落す」という。
どんな人がやっているのかと見たら、まだ元服したての若者だった。
十六句目。
鵙落す人は二十にみたぬ㒵
よせて舟かす月の川端 芭蕉
猟師は殺生を生業とするため、身分的には何らかの差別を受けていたのだろう。ウィキペディアには
「各村の「村明細帳」などに「殺生人」と記される「漁師」・「猟師」などの曖昧な存在もあり、士農工商以外を単純に賤民とすることはできない。」
とあり、いわゆる穢多・非人ではないが、何らかの区別はあったようだ。
漠然と被差別民とみなすなら、河原に縁があったのかもしれない。
十七句目。
よせて舟かす月の川端
鍋持ぬ芦屋は花もなかりけり 亨子
「月夜に釜を抜かれる」という諺があり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、
「明るい月夜に釜を盗まれる。はなはだしい油断のたとえ。月夜に釜。
※浮世草子・好色床談義(1689)三「男はらたつれども、かねわたしてのち壱物もかへされず、月夜にかまぬかれたる如く也」
とある。釜や鍋といった鋳物製品は当時大変高価で、泥棒が真っ先に狙うものだった。
川べりの貧しい芦の家には、花もなければ鍋もない。
本歌はもちろん、
見渡せば花も紅葉もなかりけり
浦の苫屋の秋の夕暮
藤原定家(新古今集)
になる。紅葉のところを鍋にするのが俳諧だ。
十八句目。
鍋持ぬ芦屋は花もなかりけり
去年の軍の骨は白暴 皷蟾
「こぞのいくさ」の骨は「のざらし」と読む。
芦屋の貧しさを続く戦乱が原因とした。
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