今日は一日小雨が降り、夜にはわずかな雲の切れ目に薄月が見えた。秋の長雨が続き、今年は名月が見えるだろうか。
それでは「舞都遲登理」の続き。
「鹽竈宿、門前より小舟にて松嶋へ渡る。内海三里、左右色々の嶋、姿をあらそふ。風景物として殘らず。左を見右を見るにいとまなし。舟子に酒をくれてしづかに棹をささせ、一ツ一ツ問ば、あらゆる嶋の名也。さしかかりは籬が嶋、高ク見えたるは大澤山住鵬雲和尚隱居所、經が嶋は見佛上人讀誦の閑居、ふくら嶋は田畑有て辨慶守本尊不動有。五大堂ハ五智の如来、松嶋町より橋二ツ越て渡ル。
雄嶋、是も橋有。船よりも陸よりもわたる。」(舞都遲登理)
「月涼し」の句は船出の時の句だったのだろう。五月に入り二十日も病気で寝込んだ後だから、二十日過ぎの月で明け方に出発し、有明の月が見えたのだろう。
左右に様々な島があって、あちこちきょろきょろしているうちに次から次へと通り過ぎて行き、とてもではないが覚えきれない。
舟子に酒をやってというのは飲ませるのではなく付け届けということだろう。サービス料ということか。気を良くした舟子は聞けばいろいろと説明してくれる。
籬(まがき)が島は今は堤防で囲われた港の中にあり、橋が架かっていて、曲木神社がある。
わが背子をみやこにやりて塩釜の
まがきの島の松ぞ恋しき
よみ人知らず(古今集)
など、歌に詠まれている。
「高ク見えたるは大澤山住鵬雲和尚隱居所」というのは扇谷の金翅堂のことであろう。元禄八年(一六九五年)に瑞巌寺第101世鵬雲東博禅師が造営したというから、桃隣が行ったときはできたばかりだった。当初は慈光院や海無量寺の大伽藍があったらしいが、今は金翅堂だけがひっそりと残っている。
経が島は瑞巌寺の近く、福浦島の隣にある小さな島で、「ふくら嶋」とあるのが福浦島であろう。今は公園になっていて田畑はない。多分多目的広場の所に畑があったのだろう。福浦橋という赤い長い橋が架かっている。「辨慶守本尊不動」も今はなく弁天堂がある。瑞巌寺の126世・盤龍和尚がここに移したというから近代に入ってからであろう。
五大堂は瑞巌寺の方にある。伊達政宗が慶長九年(一六〇四年)に創建したもので、松島町の海岸のすぐそばに小さな三つの嶋があり、それぞれ短い橋でつながっていて、五大堂は一番奥の島にある。五大明王を祀ったものだが、五大明王はそれぞれ如来に対応しているので「五智の如来」も間違いではない。不動明王─大日如来、降三世明王─阿閦如来、軍荼利明王─宝生如来、大威徳明王─阿弥陀如来、金剛夜叉明王─不空成就如来がそれぞれ対応する。
雄島は五大堂、経島、福浦島の西側の海岸近くにあり、今も橋が架かっている。仙石線の松島海岸駅に近い。見仏上人が法華経六万巻を読誦したという見仏堂は雄島にあった。
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