今日は朝から秋晴れで、今年初めての雲一つない秋晴れとなった。富士山も雪をかぶり、くっきりと見えた。
夕方頃から雲が出てきて、十二夜の月はかろうじて雲間に見えただけだった。
それでは「舞都遲登理」の続き。
「陸地以の外難所、鮎川と云獵浦より舟路三里、黒崎と云へ、渡しに乘て島着ス。麓ヨリ四十六丁、陸ヨリ三里離て海中ニアリ。丸キ嶋山也。是なん陸奥山。五丁登テ大林寺、護摩堂・辨財天・神明、嶺に權現堂幷愛宕、五丁下りて御手洗、旱魃にも水不絶、嶺より二丁下りて廿鉾の水晶アリ。此水晶高サ貳拾尋、根の深サ不知、自六角にして一角の幅七尺余有、但末七尋ハ震動ニ折レテ、谷ニ落埋半見へたり。万劫經タル石故、空ハ松杉の寄生、枝はを連ね、石は莓覆て光不明也。誠靈山の印、稀有の一物、三國第一の珍寳、末代の記念。
こがね花さくとよめるは此山にて、
千歳の莓八重に厚く、木立春秋を
しらず、鶯塒を求れば郭公鳴ず、
四時の風全凩のごとし。白雲空に
消て、谷は霧に埋れ、梺は汐烟立
迷ふ。南の磯に海鹿日を待て眠る。
東に金砂潠漂泊、黙然として是を
おもひ、彼を考れば、七寳の一ツ、
金生水の故ありやと、猶尊く、御手
洗を咶れば、五ツの味をなす。冷
水輕して、色は青天に等し。比は
さつきの末つかた夏を忘れて、
しばらく木のねを枕になしぬ。
〇御手洗や夏をこぼるゝ金華山
〇黄精の花やきんこの寄所
〇水晶や凉しき海を遠目鑑」(舞都遲登理)
石巻より十三里の船路を避けて牡鹿半島の先端にある鮎川港まで陸路で行ったようだが、かなりの難路だったようだ。山の迫るリアス海岸で、今の宮城県道2号石巻鮎川線もコバルトラインもうねうねと山の中を行く。
鮎川から船路三里、牡鹿半島先端の黒崎を廻り、金華山に到着する。今の金華山港のあたりか。
金華山は陸奥山(みちのくやま)とも言われていた。
すめろぎの御代さかえんとあずまなる
みちのく山にこがね花さく
大伴家持(万葉集巻十八 四〇九七)
と歌にも詠まれている。
今は金華山黄金山神社があるが、ウィキペディアによれば、かつては、
「近代以前は弁財天(弁天)を祀る金華山大金寺(だいきんじ)という女人禁制の修験の真言宗寺院であり、広島県の厳島神社等とともに日本の「五弁天」の一にも数えられるとともに、霊場として山形県の出羽三山、青森県の恐山に並ぶ「東奥三霊場」に数えられた。」
という。大林寺は大金寺の間違いであろう。かつてここに大伽藍が存在していたようだ。明治の廃仏毀釈でここも跡形もない。
御手洗は今のこの金華山黄金山神社の御水取場でいいのか、よくわからない。
山頂もかつては竜蔵権現だったが、今は大海祇(おおうみつみ)神社になっている。
水晶は今は天柱石と呼ばれ、山頂の東側にあるという。高さ二十メートルだから一尋が五尺(約百五十センチ)として、十三尋ちょっとというところか。「七尋ハ震動ニ折レテ」とあるから、それを加えれば二十尋になる。
ただ、今の写真で見る限り、一般的なクリスタルのあの透き通った六角の柱とはかなりイメージが違う。普通の岩のように見える。まあ、当時も苔むして「光不明」とある。
さて、句の方も長い前書きがついている。俳文として読んでもよさそうだ。
こがね花さくとよめるは此山にて、
千歳の莓八重に厚く、木立春秋を
しらず、鶯塒を求れば郭公鳴ず、
四時の風全凩のごとし。白雲空に
消て、谷は霧に埋れ、梺は汐烟立
迷ふ。南の磯に海鹿日を待て眠る。
東に金砂潠漂泊、黙然として是を
おもひ、彼を考れば、七寳の一ツ、
金生水の故ありやと、猶尊く、御手
洗を咶れば、五ツの味をなす。冷
水輕して、色は青天に等し。比は
さつきの末つかた夏を忘れて、
しばらく木のねを枕になしぬ。
御手洗や夏をこぼるゝ金華山
黄精の花やきんこの寄所
水晶や凉しき海を遠目鑑
頭は大伴家持の歌で、「春秋を知らず」は、
春秋は知らぬときはの山河は
なほ吹く風を音にこそ聞け
清少納言(清少納言集)
の歌や、水無瀬三吟七十六句目の、
山がつになど春秋のしらるらん
うゑぬ草葉のしげき柴の戸 肖柏
といった用例がある。あたかも仙郷のように生き物の生死を知らぬことをいう。
鶯もホトトギスに子を取られることもなく、一年中凩のような強い風が吹いている。
このあたりは神仙郷をイメージするための言葉の綾で、一年いてここの春秋や一年中吹く凩を経験しているわけではない。
「白雲空に消て、谷は霧に埋れ、梺は汐烟立迷ふ。」は夏の湿気の多い季節では実際にそうだったのかもしれない。「南の磯に海鹿日を待て眠る」とあるが、当時ならニホンアシカの姿を見たとしても不思議はないだろう。江戸時代には日本の沿岸に数多く生息していた。
ウィキペディアによるとニホンアシカは「一九七五年に竹島で二頭の目撃例があったのを最後に」絶滅したとされているが、はっきりとニホンアシカだと確認されてない目撃例は、その後も三回ほど(最後のはニ〇一六年)あったという。
「金砂潠漂泊」は「金砂潠(キンコ)漂泊(タゞヨフ)」とルビがふってある。砂は沙、潠は噀と同じで、「沙噀」はナマコと読む。「潠(噀)」は口から噴き出すもの、唾液などを言うが、ナマコは刺激を受けると腸管を肛門や口から放出するため沙噀というのであろう。
ナマコの中でも「金海鼠・光参(きんこ)」と呼ばれるものがあり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、
「① キンコ科に属するナマコ類の一種。全長二〇センチメートルに達する。体は長楕円形で、前端に樹枝状の一〇本の触手がある。灰褐色に褐色の斑紋がある個体が多いが、体色の変異は大きい。腹面は湾曲するが背面はやや平たい。常磐地方から北海道、千島などの沿岸に分布。昔から宮城県金華山産が賞味された。煮て干したものを中国料理につかう。ふじこ。《季・冬》
※俳諧・桜川(1674)冬二「料理てばひかりやはらぐ金海鼠哉〈季堅〉」
とある。キンコは水を吸うことで浮力を付け、海を漂うという。
七宝はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、
「仏典中に列挙される7種の宝。7種は必ずしも一定しないが,代表的なものとしては,金,銀,瑠璃,玻璃 (はり。水晶) ,しゃこ (貝) ,珊瑚,瑪瑙 (めのう) 。金,銀,瑠璃,玻璃 (はり。水晶) ,しゃこ (貝) ,珊瑚,瑪瑙 (めのう)」
とあるが、キンコはその一つの金の子で、そのキンコの獲れる金華山は五行説で「金は水を生ず」とあるように、水を生む島なのではないかと思うと尊いことで、その金華山から湧き出る御手洗の水も五つの味、つまり五味(酸味,苦味,甘味,辛味,鹹味 )をすべて兼ね備えていると言うのだが、実際どういう味だろうか。
五月の暑くじめじめした季節だが、ここではそれを忘れて「しばらく木のねを枕になしぬ。」
そして発句になる。
御手洗や夏をこぼるゝ金華山 桃隣
「夏をこぼるる」は現代語だと「夏にこぼれる」だろう。金華山の金が水を生じ、零れ落ちている。それで「夏を」は放り込み。
黄精の花やきんこの寄所 桃隣
「黄精(おうせい)」はナルコユリから取れる漢方薬で、ナルコユリの花が白いところから、これは波しぶきを黄精の花に見立てたのかもしれない。キンコがそれに寄って来る。
水晶や凉しき海を遠目鑑 桃隣
実際には天柱石は普通の岩のように濁っているし、当時はさらにそれに苔が生えていたが、それだけに、磨けば透き通るのではないかと想像したのだろう。磨かれた水晶は海を見る遠眼鏡になる。とはいっても多分遠眼鏡は話に聞くだけで、普通の眼鏡のようなものを想像してたか。それすら当時は滅多に見ることはなかっただろう。
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