今日も昨日と同じように晴れたり雨が降ったりだった。蒸し暑い。
それでは「しほらしき」の巻の続き。
二十九句目。
恋によせたる虫くらべ見む
わすれ草しのぶのみだれうへまぜに 觀生
「忍草(しのぶぐさ)」については2019年6月9日のところでも触れたが、weblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、
「①しだ類の一種。のきしのぶ。古い木の幹や岩石の表面、古い家の軒端などに生える。[季語] 秋。
②「忘れ草」の別名。
③思い出のよすが。▽「偲(しの)ぶ種(ぐさ)」の意をかけていう。
出典源氏物語 宿木
「しのぶぐさ摘みおきたりけるなるべし」
[訳] 思い出のよすがとして摘んでおいた(=産んでおいた)のであったのだろう。」
とある。
「忘れ草」は、ノカンゾウ、ヤブカンゾウなどを指し、「連歌新式永禄十二年注」には、
「忘草は、順和名には、絵を書て、ひとつばの様にてちひさく、うらに星のあるを、忘草と云り。したの葉のちいさき様なるを、忍草なり、と云り。但、是を忍草共、忘草共いふと也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.99)
とある。
『伊勢物語』百段に、
忘れ草おふる野辺とは見るらめど
こはしのぶなりのちも頼まむ
の歌がある。
『菟玖波集』の、
草の名も所によりてかはるなり
難波の葦は伊勢の浜荻 救済
の句も、心敬の『筆のすさび』に、
草の名も所によりてかはるなり
軒のしのぶは人のわすれか
という別解がある。
觀生の句では、忘れ草が「しのぶ」とも言うのを「みちのくのしのぶもぢずり」を掛けて、忘れようにも忍ぶ恋心に思い乱れ、忘れ草としのぶ草がまぜこぜに植えたような状態だ、と作る。そして、忘れ草に鳴く虫としのぶ草に鳴く虫の鳴き比べと前句につながる。なかなか手の込んだ句だ。
三十句目。
わすれ草しのぶのみだれうへまぜに
畳かさねし御所の板鋪 芭蕉
これは、
百敷や古き軒端のしのぶにも
なほあまりある昔なりけり
順徳院(続後撰集)
からの発想だろう。
元歌は軒端をしのぶだが、忘れ草しのぶも植え混ぜだから、御所に重ねられた畳に昔を忘れたり忍んだりするとする。
三十一句目。
畳かさねし御所の板鋪
頭陀よりも歌とり出して奉 北枝
宮本注に「御所に召された西行などの俤か」とある。多分それでいいと思う。
後の『猿蓑』「市中は」の巻の三十句目、
草庵に暫く居ては打やぶり
いのち嬉しき撰集のさた 去来
の句を彷彿させる。実際は直接宮中で歌を差し出したのではなく、『後拾遺集』に、
高野山に侍りける頃、皇太后宮大夫俊成千載集
えらび侍るよし聞きて、歌をおくり侍るとて、
かきそへ侍りける
花ならぬ言の葉なれどおのづから
色もやあると君拾はなむ
西行法師
とあるように手紙で送ったのだろう。
ただ、去来の句は「いのち嬉しき」がいかにも西行の「いのちなりけり」を彷彿させるのと、特に出典となる物語がないということで、本説ではなく俤付けになるが、北枝の場合、必ずしも西行に限定されるわけでもない。蝉丸かもしれない。その意味ではまだ明瞭に俤付けとは意識されてなかったのではないかと思う。
世の中はとてもかくても同じこと
宮もわら屋もはてしなければ
蝉丸(新古今集)
の心とも取れる。
三十二句目。
頭陀よりも歌とり出して奉
最後のさまのしかたゆゆしき 曾良
落ち武者の辞世の歌とする。
三十三句目。
最後のさまのしかたゆゆしき
やみ明て互の顔はしれにけり 皷蟾
宮本注に「前句の仕形を、実際の合戦の振舞と見て夜明けを付けたか」とある。互いの顔を見合わせたら昔の主君だったとか、生き別れた兄弟だったなんて落ちがありそうだ。
三十四句目。
やみ明て互の顔はしれにけり
聲さまざまのほどのせはしき 觀生
明け方の市場や船着き場の雑踏か。
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