台風が来るせいか、晴れたと思ったらザーッと雨の降る安定しない天気だった。夜も雨が降ったが、上がると雲の合間にかすかに旧盆の月が見えた。
それでは「しほらしき」の巻の続き。
二表。
二十三句目
ぬるむ清水に洗う黒米
春霞鑓捨橋に人たちて 北枝
「鑓捨橋」は宮本注にも「不詳」とあり、一応ググってみたがヒットしなかったので、ありそうでない名前の橋ということなのだろう。
二十四句目。
春霞鑓捨橋に人たちて
かたちばかりに蛙聲なき 夕市
川はあっても蛙の声がしなければ、まだ春も形だけということか。
二十五句目。
かたちばかりに蛙聲なき
一棒にうたれて拝む三日の月 芭蕉
これは座禅のときの三十棒だろう。
江戸後期の人だが仙厓義梵の「蛙」という絵には「座禅して人が佛になるならば」と書き添えてある。「座禅して人が佛になるなら、蛙だっていつも座っているからとっくに佛になっている、という意味なのだろう。蓮の葉の上に座る所から、鳥獣戯画でも蛙は仏様の姿で描かれている。
三十棒を受けても悟りに程遠い自分を、形ばかり座っている蛙に喩え、「喝!」と言われても声もなくお辞儀する。
二十六句目。
一棒にうたれて拝む三日の月
秋の霜おく我眉の色 皷蟾
三日月はよく女性の眉毛に喩えられるが、ここでは爺さんの白髪になった眉毛。年とってもなかなか悟りに遠いわが身は、宗祇独吟何人百韻、四十三句目の、
きけども法に遠き我が身よ
齢のみ仏にちかくはや成りて 宗祇
の句を思わせる。
二十七句目。
秋の霜おく我眉の色
嶋ながらくつはる袖のやや寒 塵生
宮本注は「くつはる」は「くつはが」の誤記ではないかとしている。「くつは」は京都島原の下級遊女、轡女郎のことだろう。そうなると「嶋」は島原のことか。島原には太夫のような高級遊女もいるが、下級遊女の袖はさすがに寒い。ましておいて白髪になった遊女ならなおさらだ。
二十八句目。
嶋ながらくつはる袖のやや寒
恋によせたる虫くらべ見む 斧卜
前句の「くつは」をクツワムシとする。メスを誘うために競って鳴くクツワムシを見物するような見世物があったのか。
0 件のコメント:
コメントを投稿