さて「ぬれて行や」の巻の二表だが、一の懐紙は青雲斎湫喧編『しるしの竿』(宝永二年刊)によるもので、宮本注にも「この地の人々の手に成るので、信ずべきものか」とあり、今まで読んできてもいかにも芭蕉の『奥の細道』の頃の風で違和感がない。
それに対し二の懐紙の方は万子、甘井編『金蘭集』(文化三年刊)によるもので、北枝、曾良、芭蕉、塵生の四吟になっている。それ以上に、意味のよくわからない句が多く、真偽を疑いたくなる。
「しほらしき」の巻の三十八句目以降も『金蘭集』だが、三十八句目の展開がやや急な感じがする。
とりあえず、この先も読んでみるが、意味が取りにくいのは筆者の至らなさによるものなのか、読者に判断を任せる。
二十三句目。
雛うる翁道たづねけり
蝶の羽や赤き袂に狂ふらん 北枝
雛売る翁は赤い着物を着ていたのだろうか。そこに狂ったように蝶が舞う。
二十四句目。
蝶の羽や赤き袂に狂ふらん
はしの上より投るさかづき 曾良
かわらけ投げのことだろうか。たいていは山の上から投げる。桃隣の「舞都遲登理」には、
五月女に土器投ん淺香山 桃隣
の句があった。
二十五句目。
はしの上より投るさかづき
響来る木魚に心角折て 芭蕉
盃を投げるのが厄除けだとすれば、木魚の響きも怪異を追い払うためのものであろう。「心角折て」は心の(鬼の)角も折れてということだろうか。
二十六句目。
響来る木魚に心角折て
目鏡して見て澄渡る月 塵生
眼鏡はウィキペディアによればザビエルが日本に伝えたもので、周防国の守護大名・大内義隆に献上したという。また、徳川家康が使用したという眼鏡も久能山東照宮にあるという。
芭蕉の時代に眼鏡がなかったわけではないが、眼鏡の値段は曲亭馬琴の時代でも一両一分だったというから、目が飛び出るくらい高価だったに違いない。
木魚に改心した鬼が、眼鏡で澄み渡る月を見るというのだが、高価な眼鏡をどうやって手に入れたかが謎だ。それも、月を見るのだから遠眼鏡だろうか。
二十七句目。
目鏡して見て澄渡る月
道の名と盗人の名は残る露 曾良
有名な盗人が出没した道なのだろうか。道と盗人は今でも知られていて、そこで眼鏡して月を見る。
二十八句目。
道の名と盗人の名は残る露
しかふみくづす石の唐櫃 北枝
唐櫃は脚付きの櫃のこと。普通は木でできている。石の頑丈そうな唐櫃を鹿が踏んで壊すというのだが、話を盛ってないか。それに、前句との関係も不明。
二十九句目。
しかふみくづす石の唐櫃
野社は樫の実生の幾かかへ 塵生
野社(のやしろ)は野で荒れ果てた社ということか。植えたわけではない自然に生えてきた樫が幾抱えもある巨木になっている。そんなところでは巨大な鹿が出てもおかしくはないか。
三十句目。
野社は樫の実生の幾かかへ
病の癒て歩行はつ雪 芭蕉
これは貞享四年の、
いざさらば雪見にころぶ所まで 芭蕉
の心か。「歩行」は「ありく」と読む。
ここまでざっと見ても、何となく蕪村の時代の匂いを感じるのは私だけだろうか。
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