曇りがちで涼しくなった。
日本でBlack Lives Matterが盛り上がらないのは、一つには人権派の人たちが日本人は加害者だということを強調するあまりに、ああいう警官が黒人を撃つ場面を見ても、自分は加害者なんだ、あの警官の方なんだという意識が刷り込まれていて、ついつい警官の方に同情してしまうのではないかと思う。
被害者意識の安易さをあまりに糾弾するもんだから、被害者に同情できなくなってしまったのではないか。
七十年代くらいまでは日本人はみんな戦争でひどい目にあった、俺たちは被害者だと思っていた。それが駄目だ、日本は加害者だというようになってから、反戦運動も急速に衰退したのではなかったか。
ひどい目にあった上に、加害者としての罪まで背負わされる。いじめに関してもそれは言える。
それでは「しほらしき」の巻の続き。
初裏。
九句目。
雨に洲崎の嵒をうしなふ
鳥居立松よりおくに火は遠く 觀生
前句が洲崎の祇園宮だとしたら、鳥居の連想は自然の成り行き。海辺に鳥居が立っていても、宮島を別にすれば神社は波のかぶらない陸の奥の方にあることが多い。
十句目。
鳥居立松よりおくに火は遠く
乞食おこして物くはせける 曾良
神社ネタ二句続いちゃったから、曾良としてもここで神道家らしい薀蓄というわけにはいかず、神社で雨露しのぐ乞食を付ける。梵灯の『梵灯庵道の記』に「ただ蒲団を枕とし、衾を筵としてぞ、ふるき堂などには夜を明し侍し。」とあったのを思い出す。
十一句目。
乞食おこして物くはせける
螓の行ては笠に落かへり 北枝
螓は「なつぜみ」と読む。裏返しになって落ちている蝉は、死んでるのかと思って触るといきなり大きな鳴き声を上げてぶつかってきたりする。これを今日では蝉爆弾だとか蝉ファイナルだとか言う。
乞食を起こそうとしたら落ちている蝉に触ってしまい、笠にぶつかってきたのだろう。
十二句目。
螓の行ては笠に落かへり
茶をもむ頃やいとど夏の日 芭蕉
「茶をもむ」というのは抹茶ではなく、唐茶とも呼ばれる隠元禅師がもたらした明風淹茶法で、『日本茶の歴史』(橋本素子、ニ〇一六、淡交社)には、
「『唐茶』には、中国から伝えられた茶の意味があるものと見られ、元禄十年(一六九七)に刊行された宮崎安貞の『農業全書』に、その作り方が記されている。そこには、鍋で炒る作業と、茣蓙・筵などの上で揉む作業とを交互に行うとある。
このように、隠元の茶については一次史料が残されてはおらず、はっきりとはわからないが、後世の展開状況からさかのぼって考えると、『鍋で炒る』と『揉む』行程を交互に行い製茶した『釜炒り茶』と同様のものではないかと見られる。」(p.143)
とある。
唐茶は新しもの好きの俳諧師に好まれたのではないかと思われる。
茶の収穫は八十八夜前後に限らず、夏を通して行われる。蝉の鳴くころでも別におかしくない。
十三句目。
茶をもむ頃やいとど夏の日
ゆふ雨のすず懸乾にやどりけり 斧卜
「ゆふ雨」は「ゆうだち」のこと。「すず懸(かけ)」は山伏の着る上衣で、夕立でびしょぬれになった山伏が製茶をしている小屋で雨宿りをして、篠懸を乾かす。
十四句目。
ゆふ雨のすず懸乾にやどりけり
子をほめつつも難すこしいふ 北枝
雨宿りして、そこの家の子どもを誉めてやるのだが、どうも一言多い人のようだ。
十五句目。
子をほめつつも難すこしいふ
侍のおもふべきこそ命なり 皷蟾
お侍さんは人の生死を預かる仕事なので、子供を育てるにも厳しく育てる。ただ、いきなり𠮟りつけるのではなく、最初は褒めてそのあとで欠点を指摘するというのは、今でも教育者が推奨すること。
十六句目。
侍のおもふべきこそ命なり
そろ盤ならふ末の世となる 觀生
「末の世」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、
「①将来。後世。
出典枕草子 頭の中将の
「いと悪(わろ)き名の、すゑのよまであらむこそ、口惜しかなれ」
[訳] まことにひどいあだ名が後世まで残るとしたらそれは、残念である。
②晩年。
出典源氏物語 藤裏葉
「残り少なくなりゆくすゑのよに思ひ捨て給(たま)へるも」
[訳] (命が)残り少なくなってゆく晩年にお見捨てなさるのも。
③末世(まつせ)。
出典源氏物語 若紫
「いとむつかしき日の本(もと)の、すゑのよに生まれ給ひつらむ」
[訳] たいそうわずらわしい日本の、末世にお生まれになったのだろう。」
前句の「命なり」を「命なりけり佐夜の中山」のような、年取ってまだ生きていたんだという意味の「命なり」とし、②の意味の晩年になって算盤を習うことになるとは、とする。
元禄の頃にはさすがに戦国時代の生き残りはいなかっただろうけど、ここにいる連衆の子どものころぐらいなら、まだ戦国のいくさをかいくぐってきたつわものがいて、平和な時代で算盤の練習をしている姿もあったのかもしれない。
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