今日も暑くなったがここ何年かの猛暑までは行っていない。昼は猛暑日までいかず、夜も熱帯夜にならない。子供の頃の夏の暑さに近いかもしれない。
それでは「めづらしや」の巻の続き。
二表。
十九句目。
旧の廊は畑に焼ける
金銭の春も壱歩に改り 芭蕉
芭蕉の得意な経済ネタであろう。江戸時代は金銀銭の三貨制度で、この三つの通貨が変動相場で動いていた。芭蕉の頃は銭一貫(一千文)が五分の一両くらいだったが、元禄後期になると金が暴落し四分の一両、つまり一分(一歩)くらいになった。
関東では金の方が主流で、関西では銀がよく用いられたという。『猿蓑』の「市中は」の巻の五句目に、
灰うちたたくうるめ一枚
此筋は銀も見しらず不自由さよ 芭蕉
とあるが、これは『奥の細道』での旅の経験だったのかもしれない。ここでも「金銭」で「銀」が抜けている。
壱歩は一分金のことだろう。一分は一歩と書くこともある。江戸後期になると一歩銀も登場するが、この時代にはまだない。
かつて富貴を極めた者の廓(くるわ)も、一歩というから今の一万円くらいで、それこそ二束三文で買いたたかれて畑になったということか。
宮本注には「一歩金など貨幣の新鋳も行われた意か」とあるが、貨幣の新鋳は元禄八年のこと。芭蕉の死後になる。
二十句目。
金銭の春も壱歩に改り
奈良の都に豆腐始 重行
豆腐は奈良時代に遣唐使が持ち込んだものとされている。富貴なものが銭を投げうって始めたということか。
二十一句目。
奈良の都に豆腐始
此雪に先あたれとや釜揚て 曾良
「釜揚」はウィキペディアに、「釜揚げ(かまあげ)とは、茹であがったまま何も手を加えない食材の事を指す。」とある。ここでは湯豆腐のことであろう。
寒い雪の日に、まずは火にあたって温まれと囲炉裏の周りに人を集め、湯豆腐を食う。
二十二句目。
此雪に先あたれとや釜揚て
寝まきながらのけはひ美し 芭蕉
寝巻は寝るときに着る着物で、綿を入れた「布団」とも呼ばれる夜着とは異なる。上臈のイメージがあったのだろう。ここでは遊女か。「けはひ」は化粧のこと。鎌倉に「化粧坂(けわいざか)」がある。
元禄三年の暮の京都で巻いた「半日は」の巻の三十二句目に、
萩を子に薄を妻に家たてて
あやの寝巻に匂ふ日の影 示右
の句がある。この次の句を去来が付けかねていた時、芭蕉が「能上臈の旅なるべし」とアドバイスし、
あやの寝巻に匂ふ日の影
なくなくもちいさき草鞋求かね 去来
ができたことが『去来抄』に記されている。
二十三句目。
寝まきながらのけはひ美し
遥けさは目を泣腫す筑紫船 露丸
宮本注は『源氏物語』の玉鬘の俤とするが、玉鬘の筑紫下国は四歳の時なのでさすがに無理がある。筑紫へ売られてゆく遊女ではないかと思う。
二十四句目。
遥けさは目を泣腫す筑紫船
所々に友をうたせて 曾良
宮本注によると「『せ』を受身に用いる例は、戦記物などに多い。」という。「友をうたせて」は「友を討たれて」という意味。平家の壇ノ浦に至る瀬戸内海の道のりか。
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