2020年8月24日月曜日

 何となく少し涼しくなったかな。
 「残暑暫」の巻の続き。

 初裏。
 七句目。

   小桶の清水むすぶ明くれ
 七より生長しも姨のおん     雲口

 「ななつよりひととなりしもおばのおん」と読む「姨(おば)」は姨捨山のように単に老女の意味する場合もある。この場合も七つよりで生まれた時からではないから、何らかの事情で途中から老女に育てられたということだろう。水を汲んだり苦労して育ててくれたんだ、と人情句。
 八句目。

   七より生長しも姨のおん
 とり放やるにしの栗原      乙州

 「とり(鳥)放つ」は放生会の時だけでなく、葬式の時にも行われることがある。コトバンクの放鳥の意味として「精選版 日本国語大辞典の解説」には、

 「〘名〙 死者の供養のために、鳥を買って放すこと。また、その鳥。はなちどり。
  ※浮世草子・好色二代男(1684)八「三拾文はなし鳥(ドリ)三羽」

とある。
 自分を一人前に育ててくれた姨の葬儀に、放鳥を行う。
 栗は西の木と書くので、西の栗原というと何となく葬儀場っぽい。
 九句目。

   とり放やるにしの栗原
 読習ふ歌に道ある心地して    如柳

 読み習った歌というのはもしかして、

 心なき身にもあはれはしられけり
     鴫立つ沢の秋の夕暮
               西行法師

かな。飛び立ってゆく鴫が歌の道なら、放生会で飛び立ってゆく鳥にもその心は通じるのではないか。
 十句目。

   読習ふ歌に道ある心地して
 ともし消れば雲に出る月     北枝

 歌の心というと月花の心。灯りを消すと雲の間から月が出て明るく照らしてくれるなら、心ある月といえよう。
 十一句目。

   ともし消れば雲に出る月
 肌寒咳きしたる渡し守      曾良

 「はださむみしわぶきしたる」と読む。月が出たから船が出せると、それとなく咳をして誰かに知らせているのだろうか。
 十二句目。

   肌寒咳きしたる渡し守
 をのが立木にほし残る稲     流志

 「をの」は小野だろう。前句を普通に肌寒くて咳をしたとして、渡し場の景を付ける。

0 件のコメント:

コメントを投稿