何となく少し涼しくなったかな。
「残暑暫」の巻の続き。
初裏。
七句目。
小桶の清水むすぶ明くれ
七より生長しも姨のおん 雲口
「ななつよりひととなりしもおばのおん」と読む「姨(おば)」は姨捨山のように単に老女の意味する場合もある。この場合も七つよりで生まれた時からではないから、何らかの事情で途中から老女に育てられたということだろう。水を汲んだり苦労して育ててくれたんだ、と人情句。
八句目。
七より生長しも姨のおん
とり放やるにしの栗原 乙州
「とり(鳥)放つ」は放生会の時だけでなく、葬式の時にも行われることがある。コトバンクの放鳥の意味として「精選版 日本国語大辞典の解説」には、
「〘名〙 死者の供養のために、鳥を買って放すこと。また、その鳥。はなちどり。
※浮世草子・好色二代男(1684)八「三拾文はなし鳥(ドリ)三羽」
とある。
自分を一人前に育ててくれた姨の葬儀に、放鳥を行う。
栗は西の木と書くので、西の栗原というと何となく葬儀場っぽい。
九句目。
とり放やるにしの栗原
読習ふ歌に道ある心地して 如柳
読み習った歌というのはもしかして、
心なき身にもあはれはしられけり
鴫立つ沢の秋の夕暮
西行法師
かな。飛び立ってゆく鴫が歌の道なら、放生会で飛び立ってゆく鳥にもその心は通じるのではないか。
十句目。
読習ふ歌に道ある心地して
ともし消れば雲に出る月 北枝
歌の心というと月花の心。灯りを消すと雲の間から月が出て明るく照らしてくれるなら、心ある月といえよう。
十一句目。
ともし消れば雲に出る月
肌寒咳きしたる渡し守 曾良
「はださむみしわぶきしたる」と読む。月が出たから船が出せると、それとなく咳をして誰かに知らせているのだろうか。
十二句目。
肌寒咳きしたる渡し守
をのが立木にほし残る稲 流志
「をの」は小野だろう。前句を普通に肌寒くて咳をしたとして、渡し場の景を付ける。
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