今日は旧暦の七夕。ほぼ半月の月が出ていた。
前に「人権の概念」の見直しということを言ったが、人権を批判する人に一応言っておきたいが、「人権思想」という一つの思想があるわけではない。近代の歴史の中でいろいろな思想家が人権について考えてきたが、そこには様々な思想家の思想はあっても、人権思想という一つの思想があるわけではない。人権はいろいろな人に様々に解釈されて今に至っている。
だから今でもこの種の問題に一つの答えがあるわけではない。人権派と称する人に聞いても答えはばらばらだと思う。組織に属していて組織の理論しか知らない人は別として、普通に自分で何かを考えていれば、一つとして同じ思想はない。
前にもどこかで書いたが、概念というのは生得的なものではなく、耳にしたり書物で目にした様々なその言葉の用例から、各自それぞれ自分の頭の中で構造化して理解しているだけだ。同じDaseinという概念でもカントとハイデッガーでは全く別物であるように、哲学用語というのも哲学者によって全く違う意味に用いられる。思想というのはそういうものだ。
だから、あたかも「人権思想」なるものがあるかのように批判しても、大体は的外れになる。それは誰かの人権思想には当てはまるかもしれないが、別の人の人権思想には当てはまらなかったりする。
人権思想を乗る越えるとすれば、特定の思想体系を批判するのではなく、根底となる古い非科学的な説を始末するところから始めた方がいいだろう。たとえば白紙説やサピア・ウォーフ仮説のような。人権思想を否定するのではなく、古い科学や古い形而上学的独断を捨て、今の科学と今の現実に乗せ換える作業の方が大事だ。
霊肉二元論(精神と肉体の二元論)のようなものを今どき復活させて一体何になるというのか。それは西洋理性の覇権主義を復活させ、異民族の異文化やマイノリティーの様々な可能性を、結局肉体の多様性と精神の単一性に還元し、口では多様性と言いながら、単一の思想に服従させようというものだ。
もちろん人はそれぞれみんな違うのだから、単一の思想は不可能。ただ、共産圏がそうだったように、単一の思想の持つ強力な権力をめぐって、暴力がはびこり、最終的には暴力が世界を支配する最悪の結果を生む。
大事なのは理性もまた人間の多様な肉体の産物であり、理性も多様で唯一無二の思想などは存在しない。多様な思想を調和させる文化のみが要求されなくてはならない。
多様なものは多様なままにしておくべきだ。それを一つにしようとすれば必ず熾烈な権力闘争が生じる。そして、飢餓と粛清で崩壊する。
人権は理性や思想や文化習慣を含めた多様性として理解されるべきだというのは、別に新しい思想ではない。ただ、それがなかなか徹底されることがなかっただけだ。
国家というのも人倫の最高の統一ではなく、多様性の一つの区切りにすぎない。一つの区切りとして尊重されるべきものだ。そしてその多様性を損なわない限りにおいて国家主権というものが存在しなくてはならない。
まあ、堅苦しい話になってしまったが、この辺で俳諧の方へ戻ろう。
「残暑暫」の巻の続き、挙句まで。
十三句目。
をのが立木にほし残る稲
ふたつ屋はわりなき中と縁組て 一泉
「わりなし」の良い意味と悪い意味があり、宮本注は良い方に解しているが、干し残した稲が残っている辺りは、そんなに仲が良さそうに思えない。たまたま家が隣だったために無理やりくっつけられてしまったのではないか。
十四句目。
ふたつ屋はわりなき中と縁組て
さざめ聞ゆる國の境目 芭蕉
ここで良い意味に転じたのではないかと思う。国境までその噂が聞こえるほどの仲の良い二人に取り成す。
十五句目。
さざめ聞ゆる國の境目
糸かりて寐間に我ぬふ恋ごろも 北枝
「恋衣」は「凉しさや」の巻の七句目にも出てきた。
影に任する宵の油火
不機嫌の心に重き恋衣 扇風
この時も引用したが、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① (常に心から離れない恋を、常に身を離れない衣に見立てた語) 恋。
※万葉(8C後)一二・三〇八八「恋衣(こひごろも)着奈良の山に鳴く鳥の間なく時なし吾が恋ふらくは」
② 恋する人の衣服。
※風雅(1346‐49頃)恋二・一〇六五「妹待つと山のしづくに立ちぬれてそぼちにけらし我がこひ衣〈土御門院〉」
とある。
「不機嫌の」の句の時とは違い、「糸かりて」「ぬふ」と明確に衣服を縫う場面なので②の意味になる。
国の境目で、他国へ駆け落ちするところか。もっともこの時代で「駆け落ち」というと別に恋とは限らず失踪することを意味していたが。
十六句目。
糸かりて寐間に我ぬふ恋ごろも
あしたふむべき遠山の雲 雲口
旅立つ恋人のために衣服を縫う場面とする。『伊勢物語』二十三段「筒井筒」の、
風吹けば沖つ白波たつた山
夜半にや君がひとり越ゆらむ
の心か。
十七句目。
あしたふむべき遠山の雲
草の戸の花にもうつす野老にて 浪生
野老(ところ)はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「ヤマノイモ科の蔓性(つるせい)の多年草。原野に自生。葉は心臓形で先がとがり、互生する。雌雄異株。夏、淡緑色の小花を穂状につける。根茎にひげ根が多く、これを老人のひげにたとえて野老(やろう)とよび、正月の飾りに用い長寿を祝う。根茎をあく抜きして食用にすることもある。おにどころ。《季 新年》「―うり声大原の里びたり/其角」
とある。『笈の小文』の伊勢菩提山神宮寺の荒れ果てた姿を見ての句に、
菩提山
此山のかなしさ告げよ野老掘(ところほり) 芭蕉
の句がある。
野老には山で採れる田舎の素朴さと長寿のお目出度さの両面がある。
この句の場合は正月飾りの野老に花の春を感じさせるとともに、草庵に住む老人のまた旅に出る姿とが重ね合わされている。
芭蕉が後に『猿蓑』の「市中は」の巻で詠む、
ゆがみて蓋のあはぬ半櫃
草庵に暫く居ては打やぶり 芭蕉
に影響を与えていたかもしれない。
挙句。
草の戸の花にもうつす野老にて
はたうつ事も知らで幾はる 曾良
人徳のせいか近所の人がいろいろ援助してくれて、働かなくても生活できる修行僧なのだろう。それはまあ目出度いことだ。
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