2020年8月2日日曜日

 今日は晴れて蝉も鳴く、梅雨明けらしい一日になった。
 アニメの「聲の形」だが、前半の所で胸糞になると、石田のいじめっ子の側面を見るかいじめられっ子の側面を見るかで、大きく分けて二つの方向に分かれてゆくようだ。
 石田のいじめっ子の方の側面を見ると、何であんな悪いことしたやつがちょっとくらい反省したふりして許されて、おまけに西宮硝子のような可愛い子と付き合って許せん、感動ポルノだ、となる。
 石田のいじめられっ子の方に感情移入してしまうと、川井みきの裏切りだけは絶対に許せない、という方向に行くようだ。

 「有難や」の巻のところで、今読み返すとかなり勘違いと混乱があって恥ずかしい限りだ。何とか修正して鈴呂屋書庫の方にアップした。
 あちこち書き直したので、とりあえずまとめ直す。

 三日は申の刻(四時ごろ)露丸宅に到着する。「本坊ヨリ帰リテ会ス。」は露丸が本坊から帰ってくるのを待ったのか。それから大石田平右衛門ヨリ状添の書状を露丸に預け、本坊若王寺別当執行代和交院(会覚)に渡してもらう。ふたたび露丸が帰ってきてから南谷へ行き、南谷に泊まる。
 四日は南谷から本坊の方へ行き会覚に会い、本坊で表六句を巻く。南谷に帰る。
 五日は夕飯の後、羽黒ノ神前に詣で、南谷に帰ってきて俳諧興行の続きを行い、初裏が完成する。
 六日は朝未明に南谷を出て昼には弥陀ヶ原に着く。四時ごろ山頂に着く。
 七日は朝早く湯殿山に向かい、御宝前の御神湯に入り昼までに月山山頂に戻り昼飯を食う。それから月山を下り、南谷に戻ったころには真っ暗だったと思われる。
 八日は南谷で休養。昼に会覚がやってきて、四時ぐらいに帰る。
 九日にも会覚がやってきて俳諧興行の続きを行い、四時ごろには終わった。

 それでは「めづらしや」の巻の続き。

 九句目。

   蘩無里は心とまらず
 粟ひえを日ごとの齋に喰飽て   芭蕉

 「齋(とき)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 (食すべき時の食の意)
  ① 僧家で、食事の称。正午以前に食すること。⇔非時(ひじ)。
  ※宇津保(970‐999頃)春日詣「ここらの年ごろ、露・霜・草・葛の根をときにしつつ」
  ② 肉食をとらないこと。精進料理。
  ※栄花(1028‐92頃)初花「うちはへ御ときにて過させ給し時は、いみじうこそ肥り給へりしか」
  ③ 檀家や信者が寺僧に供養する食事。また、法要のときなどに、檀家で、僧・参会者に出す食事。おとき。
  ※梵舜本沙石集(1283)三「種々の珍物をもて、斎いとなみてすすむ」
  ④ 法要。仏事。
  ※浄瑠璃・心中重井筒(1707)中「鎗屋町の隠居へ、ときに参る約束是非お返しと云ひけれ共、はてときは明日の事ひらにと云ふに詮方なく」
  ⑤ 節(せち)の日、また、その日の飲食。」

とある。ここでは毎日食うのだから①であろう。僧家は肉食しないから同時に②にもなる。
 粟や稗を毎日食って食い飽きたから、蓬が食べたくてしょうがない、ということか。
 十句目。

   粟ひえを日ごとの齋に喰飽て
 弓のちからをいのる石の戸    重行

 これは「石に立つ矢」のことだろう。以前「杜若」の巻八句目、

   捨かねて妻呼鹿に耳ふさぎ
 念力岩をはこぶしただり     安信

の所で触れたが、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」には、

 「一心を込めて事を行えばかならず成就するとのたとえ。中国楚(そ)の熊渠子(ようきょし)が、一夜、石を虎(とら)と見誤ってこれを射たところ、矢が石を割って貫いたという『韓詩外伝(かんしがいでん)』巻6や、漢の李広(りこう)が猟に出て、草中の石を虎と思って射たところ、鏃(やじり)が石に突き刺さって見えなくなったという『史記』「李将軍伝」の故事による。「虎と見て石に立つ矢もあるものをなどか思(おもい)の通らざるべき」の古歌や、「一念(一心)巌(いわ)をも通す」の語もある。[田所義行]」

とあるように、信じる力があれば矢は石をも通すという。本当かどうかは知らんが。
 「念力」は仏道の信じる力を表す場合もあるから、日頃から精進料理を食べて仏道修行に励んできたのだから、そろそろ矢は石をも通すのではないかと石の戸に向かって試しているのであろう。
 十一句目。

   弓のちからをいのる石の戸
 赤樫を母の記念に植をかれ    曾良

 赤樫は木刀などの武具に用いられるが、弓に用いられないのは硬すぎてしならないからだろう。
 赤樫を弓にするというのではなく、赤樫を形見に植えるような母だから武人の家系ということか。
 十二句目。

   赤樫を母の記念に植をかれ
 雀にのこす小田の刈初      露丸

 昔は女性も不動産を所有していたが、母の残した田んぼは小さな田んぼにすぎず、あまり手入れもされてないのだろう。稲が実ってもなかなか刈りに来ず、雀が群がっている。
 十三句目。

   雀にのこす小田の刈初
 此秋も門の板橋崩れけり     重行

 小さな田んぼの主も亡くなり、生前に植えた稲だけが残っていて、門の板橋も崩れてしまっている。
 十四句目。

   此秋も門の板橋崩れけり
 赦免にもれて独リ見る月     芭蕉

 赦免はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙
  ① 罪を許し、刑罰を免除すること。また、課せられるべき責務などを免除すること。
  ※権記‐長保二年(1000)五月一八日「依二母后御悩一、行二赦免一之例可レ令二勘申一」
  ※平家(13C前)三「俊寛僧都一人、赦免なかりけるこそうたてけれ」 〔史記‐淮南厲王伝〕
  ② あやまちを許すこと。
  ※狂言記・吟聟(1660)「ひまもゑませいでおそなはりましたる所。御しゃめんあられませい」
  ③ 束縛から解放してやること。自由の身にしてやること。
  ※天草本伊曾保(1593)イソポの生涯の事「フダイノ トコロヲ xamenxite(シャメンシテ)」

とある。
 この場合は蟄居(ちっきょ)を命じられたのであろう。他のものは許されたのに、自分だけがいまだに家から出られず、門の外の板橋を直すこともできない。
 十五句目。

   赦免にもれて独リ見る月
 衣々は夜なべも同じ寺の鐘    露丸

 自分は一人月を見ているのに隣では男女が親しんで、明け方には帰ってゆく。後朝は悲しいけど、それを内職で一夜を明かし横で見るのはジェラシー。ともに同じ鐘の音を聞く。
 十六句目。

   衣々は夜なべも同じ寺の鐘
 宿クの女の妬きものかげ     曾良

 同じ宿で働く女性でも、一人は仕事一人は恋。これもジェラシー。
 十七句目。

   宿クの女の妬きものかげ
 婿入の花見る馬に打群て     重行

 花の季節にこれまた華やかに馬に乗って婿入りする若武者の行列が宿場を通ると、宿場の女たちはみんな見に来るが、ひそかに恋心を抱いていた女は、嫉妬して物陰からチラ見するだけ。
 わざわざ婿養子に取るのだから、文武に秀でたみんなのあこがれだったのだろう。
 十八句目。

   婿入の花見る馬に打群て
 旧の廊は畑に焼ける       露丸

 花婿を外部から迎える家は、すっかり没落していたのだろう。家を建て直すために養子を取ったか。
 古い城郭は既に崩され、畑になっている。これからは城を立派にするよりも農業に力を入れるということか。

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