2020年8月27日木曜日

 今朝は急に雨が強く降ったかと思うとすぐに止んだ。
 コロナの第二波もとりあえずピークアウトし、重症者数もそろそろ頭打ちになっている。第一波の時と違って、PCR検査数が増えたせいか、感染者数の割には重症者数が少なかった。死者もこれからそれほど大きく増えることはないだろう。
 感染者数が急増したあたりから、夜の街や外食、旅行、パーティーなどの自粛ムードが広まり、それに加えて検査数の増加によって多くの無症状者をホテルや自宅に隔離できたのも功を奏したのではなかったかと思う。そうして減少傾向になったころ、ちょうどお盆休みも重なって産業が止まったことから、一気に収束に向かうことができた。
 第一波の時にもゴールデンウィークがあり、大型連休が味方してくれたが、秋に第三波が来た時には正月まで大型連休がないのがやや不安だ。
 お盆明けで生活が元に戻り、収束ムードから緩みが出てくると、すぐに第三波がやってくる。インフルとのダブルも心配だが、インフルではないただの風邪が発症の引き金にならないかという心配もある。小生も秋から冬への季節の変わり目には必ず扁桃腺が腫れる。ひょっとしたらその時みんなとお別れになるかも。思えばつまらない何もない人生だったなあ。女房には謝らないとなあ。
 まあ、賢明な日本国民のことだから、再び感染者数が増加に転じたら、それなりの自粛をしてくれるとは思うし、国が何もしなくても、さらに対策を緩めたとしても、国民の行動にそれほど影響はないと思う。大晦日になって死者が二千人を越えてなければ、とりあえず今年一年は勝利ということでいいのではないか。
 コロナ対策とインフル対策は被る所も多いので、案外インフルの死者も大きく減るような追加効果があるかもしれない。
 一番心配なのは気の緩みなので、多少は恐怖を煽る発言をして喝を入れる人がいなくてはならない。それを自由に言える雰囲気は残していかなくてはならない。
 麻雀に喩えるなら東場東二局の終了ということで、まだまだ長丁場だから頑張ろう。
 それでは俳諧の方だが、『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)には、「残暑暫」の巻の次に「西濱にて」の表六句があるので、それを見てみよう。
 発句。

   西濱にて
 小鯛さす柳すずしや海士が妻   芭蕉

 季語が「すずし」で季節が夏に戻っている。そこから、この句は当座で詠んだのではなく、夏に作った発句を流用した可能性がある。夏に詠んだとすれば酒田あたりだろうか。
 小鯛を柳の枝の串に刺してあぶって食べたのだろう。西の浜では海に日が沈むころで、涼しい海風が吹いてくる。もっとも、「すずし」は発句の場合社交儀礼で、本当は夕凪で暑かったのかもしれないが。「残暑暫」の句も、『奥の細道』に収録するときには、

 秋涼し手毎にむけや瓜茄子    芭蕉

に直している。
 脇。

   小鯛さす柳すずしや海士が妻
 北にかたよる沖の夕立      名なし

 作者の名前が不明になっている。
 沖の夕立の雲も北の方へそれていい天気ですね、といったところだろうか。「かた」を潟に掛けているとすれば、象潟の吟である可能性もある。はるばるこんな北の象潟にまで寄ってくれて、という意味が込められているとすれば、六月十七日、曾良の『旅日記』に、

 「朝、小雨。昼ヨリ止テ日照。朝飯後、皇宮山蚶弥(満)寺へ行。道々眺望ス。帰テ所ノ祭渡ル。過テ、熊野権現ノ社へ行、躍等ヲ見ル。夕飯過テ、潟へ船ニテ出ル。加兵衛、茶・酒・菓子等持参ス。帰テ夜ニ入、今野又左衛門入来。象潟縁起等ノ絶タルヲ歎ク。翁諾ス。弥三郎低耳、十六日ニ跡ヨリ追来テ、所々ヘ随身ス 。」

とある、この加兵衛(俳号玉芳)の可能性もある。
 第三。

   北にかたよる沖の夕立
 三日月のまだ落つかぬ秋の来て  小春

 ここからが西浜での吟だろう。『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注には、『奥細道附禄』に金沢の西、宮の腰とする説があり、曾良の『旅日記』の、七月二十三日の、

 「廿三日 快晴。翁ハ雲口主ニテ宮ノ越ニ遊。予、病気故、不行。江戸へノ状認。鯉市・田平・川源等へ也。徹ヨリ薬請。以上六貼也。今宵、牧童・紅爾等願滞留。」

とあるこの日ではないかという。確かにこの表六句に曾良の名前はないし、発句以外は『俳諧書留』に書き留めてない。『奥細道附禄』所収の表六句の四句目に雲江とあるのは雲口の間違いと思われる。あとは北枝・牧童の兄弟が参加している。
 宮の腰は犀川の河口付近の金石(かないわ)海岸とされている。
 「三日月のまだ落つかぬ」は暑くて空気も秋らしい澄んだ空気ではないということだろう。北で夕立が鳴っているのだからまだまだ湿っぽい。
 四句目。

   三日月のまだ落つかぬ秋の来て
 いそげと菊の下葉摘ぬる     雲江

 これが雲口さんになる。どちらも「うんこう」と読める。
 ようやく秋の始まる文月三日頃から、長月九日の重陽へ向けて菊を育てる。
 五句目。

   いそげと菊の下葉摘ぬる
 ぬぎ置し羽織にのぼる草の露   北枝

 重陽の当日とし、正装の羽織をしばし脱いでは菊の最後の手入れをする。せっかくの羽織も草露にまみれてしまう。それほど菊が気になってしょうがない。
 六句目。

   ぬぎ置し羽織にのぼる草の露
 柱の四方をめぐる遠山      牧童

 挙句の体ではないので六句目とする。「柱の四方」は「四方の柱」のことで、相撲の土俵ではないかと思う。相撲を取るために羽織袴を脱ぐ。
 『奥細道附禄』はここで終わっている。続きがあったのかもしれない。なかったのかもしれない。わからない。

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