長かった夏もようやく今日で終わり。
ふと思ったんだが、ナチスのホロコーストって、もしナチスが戦争を起こさなかったらずっと続いてたんではないか。戦争があったから、連合軍がドイツ国内に入って収容所を開放することができたが、戦争がなければ今のウイグルと同じで手を付けられないばかりか、調査すらできなかったのではないか。
中国も北朝鮮も戦争をギリギリのところで回避することで、誰も手を出せなくなっている。香港も独立政府でも作って中国から出れば、他の国も介入の余地があるが、今の状態では中国国内の問題で手が出せない。
トランプは軍隊を動かさずとも経済制裁だとかトレーディングで解決できるのではないかとやってみたが、今となっては無力さばかりが残ってしまった。
国際的な難問も経済で解決できるのではないかという希望をまだアメリカ人が持っているなら、トランプは再選するだろう。絶望ならアメリカを再び世界の警察に戻す方に向かう。
皮肉なことだが人権思想は独裁国家も守ってしまったようだ。人権の概念も国家主権の概念も、何か根本的な見直しが必要なように思える。ネトウヨ・パヨクはいても独創的な思想家がいない。マルガブは単なるパヨクでがっかり。
それでは「富貴艸」の巻の続き。
初裏。
七句目。
鶉目がけた鼠落けり
思ふまま軒の瓢に実の入て 等秀
前句を貧家として『源氏物語』の夕顔の俤で付けたか。「月」「鶉」と秋の句なので夏の夕顔ではなく秋の瓢の実とする。
八句目。
思ふまま軒の瓢に実の入て
箔の兀たる佛さびしき 等盛
「兀」は「はげ」と読む。
夕顔、瓢の貧相な雰囲気で、忘れ去られたようなお寺に場面を転じる。当初は黄金色に輝いていた仏像も、今ではすっかり箔が剥げてしまっている。
九句目。
箔の兀たる佛さびしき
誰殿も行脚の内は乞食也 等般
まあたとえば西行法師は藤原秀郷の八世孫で鳥羽院の北面武士でもあった佐藤義清だが、行脚に出れば乞食坊主と呼ばれることにもなる。
芭蕉は農人の子だしその親族と言われる桃隣もそれほどの身分ではなかったが、芭蕉に同行した曾良は武士で神道家だった。芭蕉行脚の時の身分の高い人との取次も曾良あってのことだったのだろう。桃隣も黒羽に行ったときには、芭蕉との待遇の差を感じたかもしれない。
箔の剥げた仏像は寂しげだが半端に金箔が残ってたりすると、余計寂しい。完全に剥げ落ちたら、そこにはまた違った美があるものだ。
十句目。
誰殿も行脚の内は乞食也
旬じやといへば時鳥啼 助叟
望帝杜宇の故事による付けか。
望帝と称した杜宇は農耕を指揮したが、やがて長江の反乱を抑える力のある開明に位を譲り隠棲した。死ぬとその魂は杜鵑となり農耕を始める季節を知らせるようになる。
「旬じゃ」はここではその農耕を始める時だという意味になる。
十一句目。
旬じやといへば時鳥啼
投やりに俎流す磯清水 桃隣
「旬じゃ」をごく普通に魚の旬とする。投げやりで魚をとらえようとしたら俎板が流れて行ってしまった。
十二句目。
投やりに俎流す磯清水
二度めの婚とや婚とやとせず 等秀
再婚だとぞんざいな扱いを受けているのだろう。やる気なさげに(なげやりに)俎板を洗う。
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