2019年6月30日日曜日

 今日も一日小雨の降る天気で、家の中で静かに過ごした。退屈だ。
 トランプ米大統領と金正恩委員長は板門店で短い会談を行い、これが世界がうまく行く印ならいいな。
 プーチンさんは「リベラルな価値観は時代遅れ」と言っていたけど、一部のリベラルが社会主義者と手を組んで独裁政治やイスラム原理主義を支持しているからそう見えるだけだと思う。
 まあ、そういった連中がマスコミを牛耳ってたり、いろいろ情報操作するもんだから混乱しているけど、そういう間違ったリベラルは滅び、最終的には正しいリベラルが勝利すると思う。
 時代遅れなのは独裁や原理主義の方だ。
 それはともかくとして、ここは風流のページ。平和には賛成するとして、とりあえずは「いと凉しき」の巻の続き。今回は一気に挙句まで。

 九十一句目。

   遠く遊ばぬ盆の夕暮
 住つけば残る暑さも苦にならず  磫畫

 お盆に残暑とこれは軽く流した遣り句だろう。
 九十二句目。

   住つけば残る暑さも苦にならず
 月はこととふうら店の奥     幽山

 京の裏通りはいかにも暑そうだ。表と違い人通りも少なく、月だけが尋ねてくる。そろそろ名残の裏ということで、穏やかに流してゆく。
 名残裏。
 九十三句目。

   月はこととふうら店の奥
 秋の風棒にかけたる干菜売    桃青

 久しぶりに芭蕉さんの登場。
 裏通りを天秤棒に干し菜を下げた干し菜瓜が通る。うらぶれた風情のある句だ。
 九十四句目。

   秋の風棒にかけたる干菜売
 賤がこころも明樽にあり     宗因

 「明樽(あきだる)」は酒を作った後の空き樽。醤油、味噌、漬物などに再利用した。「飽き足る」に掛かる。満足するという意味。今でも否定形の「飽き足らぬ」という言葉にその名残がある。
 明樽で干し菜を漬ければ冬への備えも万全。野菜は干すことで旨みも増すし、貧しい庶民もこれで満足。宗因らしい人情句だ。
 九十五句目。

   賤がこころも明樽にあり
 綱手をもくり返しぬる網のうけ  幽山

 「網のうけ」は網の浮子船(うけぶね)のことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「漁具の一種。たらいのような桶で、定置網のへりにつけて浮子(うけ)とする。うけぶね。
 ※散木奇歌集(1128頃)雑「ひく島の網のうけ舟浪間よりかうてふさすとゆふしててかく」

とある。明樽は漁具として利用することもあったか。
 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は、

 しづやしづ賤のをだまき繰返し
     昔を今になすよしもがな

という『義経記』の静御前の歌を引いている。この歌の元歌は『伊勢物語』の、

 いにしへの賤のをだまき繰返し
     昔を今になすよしもがな

で、最初の五文字だけが違う。
 この歌を本歌とし、海士が浮子船の引き綱を繰返し引くように、賤の心も、昔のことを忘れてよりを戻し、幸せになる事を願う。
 九十六句目。

   綱手をもくり返しぬる網のうけ
 あこぎが浦や牛のかけ声     吟市

 「あこぎが浦」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 「三重県津市,伊勢湾にのぞむ海岸。岩田川河口から相川河口までの単調な直線状の砂浜海岸で,春は潮干狩り,夏は海水浴に利用され,冬はノリ漁場となる。かつては伊勢神宮の供物の漁場で,殺生禁断の海であった。昔貧しい漁夫平治 (次) が病母のためこの海で魚をとったため罰せられ,簀巻きにされて海に沈められたという物語は,謡曲,浄瑠璃に歌われて有名。近くに平治 (次) の霊をまつる阿漕塚がある。観海流泳法の発祥地といわれる。南半分を御殿場浜とも呼ぶ。一帯は伊勢の海県立自然公園に属する。」

とある。
 『源平盛衰記』にある、

 逢ふことも阿漕が浦に引く網も
     度重なれば顕はれやせん

の古歌は、『古今和歌六帖』の、

 逢ふことをあこぎの島に引く網の
     たび重ならば人も知りなん

を元歌としている。
 その阿漕が浦も江戸時代には伊勢街道の宿場として栄え、牛の掛け声が繰返し聞こえてきたのだろうか。
 九十七句目。

   あこぎが浦や牛のかけ声
 みづらいふわつぱも清き渚にて  信章

 「みづら(角髪)」は奈良時代までの古代の貴族の髪型で、牛飼童(うしかいのわらわ)は歳を取っても垂髪でまま髪を結わなかった。でも何となく古代というと角髪(みづら)の童(わっぱ)がいそうなイメージだったのだろう。
 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は謡曲『阿漕』の「伊勢の海。清き渚のたまだまも。」の一節を引用している。
 九十八句目。

   みづらいふわつぱも清き渚にて
 馴てもつかへたてまつる院    磫畫

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 「惟喬親王の御住居を渚の院という(伊勢物語)」

とある。交野の院に仕える牧童とした。

 「今狩りする交野の渚の家、その院の桜、ことにおもしろし。その木のもとに下りゐて、枝を折りてかざしにさして、上、中、下、みな歌詠みけり。馬頭なりける人の詠める。

 世の中にたえて桜のなかりせば
     春の心はのどけからまし」

の歌はよく知られている。
 九十九句目。

   馴てもつかへたてまつる院
 そも是は大師以来の法の華    似春

 この興行の会場となった大徳院は弘法大師を開祖とする高野山真言宗のお寺で、前句の「院」を大徳院のこととし、そこには弘法大師以来の法の花が咲いているとする。「法の花」は似せ物の花だが正花になる。
 花は一座三句物で、「にせ物の花此外に一」と『応安新式』にあり、この巻はそれを律儀に守っている。
 挙句。

   そも是は大師以来の法の華
 土の筆にも道や云らん      少才

 「弘法筆を選ばず」というとおり、この俳諧は本来の筆ならぬ土の筆、つまり土筆(つくし)で書いたような粗末なものにすぎないが、道の一端でも云うことができただろうか、と謙虚でありながらもこの俳諧が大和敷島の言の葉の道であることを宣伝して終る。
 さて、宗因と芭蕉、後の世から見ると夢の競演だが、芭蕉の句は七句と素堂(信章)の九句よりも少ない。特に後半はわずかに二句で寂しい感じだ。談林のスピード感に戸惑う所もあったのか。
 それでも、

   反橋のけしきに扇ひらき来て
 石壇よりも夕日こぼるる     桃青
   座頭もまよふ恋路なるらし
 そびへたりおもひ積て加茂の山  同
   時を得たり法印法橋其外も
 新筆なれどあたひいくばく    同
   口舌事手をさらさらとおしもんで
 しら紙ひたす涙也けり      同
   数寄は茶湯に化野の露
 石灯篭月常住の影見えて     同
   はながみ袋形見なりけり
 さる間三年はここにさし枕    同
   月はこととふうら店の奥
 秋の風棒にかけたる干菜売    同

 といった句はどれも芭蕉らしい句だし、後の蕉門への片鱗も感じられる。

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