2019年6月4日火曜日

 「ノーパンしゃぶしゃぶ」なんて懐かしい言葉が急に出てきたりしたな。官僚の接待で一時期問題になったっけ。それならまだネットにイラストを投稿している方が趣味がいい。
 まあ、要は遊ぶなら風雅に遊ぼうということで「応安新式」の続き。

 「蓬屋 霞網 小田返 布曝 硯水(已上非水辺)
 山にある関は山に嫌之、浦にある関は浦に嫌之、岩橋 薪 妻木 猿 瀧津瀬(已上非山類)
 梯 杣木 洞 瀧 炭竈 嶋(水辺にも嫌之) 岡(已上非山類)」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.304)

 蓬屋は篷屋(とまや)のことで、苫屋に同じ。
 苫屋はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 苫で屋根を葺(ふ)いた家。苫葺きの粗末な小屋。とまのや。とまやかた。
 ※源氏(1001‐14頃)明石「興をさかすべき渚のとまや」
 ※新古今(1205)秋上・三六三「み渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕ぐれ〈藤原定家〉」

 源氏物語の明石巻の用例にしても、定家卿の歌にしても「浦」に結びつくことが多い。
 横浜市民としては森鴎外作詞の横浜市歌の一節、「されば港の数多かれど、この横浜にまさるあらめや、むかし思えばとま屋の煙、ちらりほらりと立てりしところ」も思い浮かぶ。
 だが、苫屋自体はあくまで粗末な小屋という意味で水辺にはならない。

「連歌新式心前注」にも、

 「水辺さうにて水辺にならぬ物共也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.269)

とある。
 「蓬屋(ほうをく)」と読んだ場合も、大体意味は同じで粗末な小屋をいう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、

 「① 蓬(よもぎ)で屋根をふいた家。草ぶきの家。
 ※玉葉‐安元三年(1177)三月二七日「女院渡二御蓬屋一」 〔謝霊運‐過白岸亭詩〕
 ② 転じて、みすぼらしい家。自分の家をへりくだっていうのにも用いる。
 ※中右記‐承徳元年(1097)正月二一日「戌時許蓬屋之北隣一許町小屋等焼亡」

とある。謝霊運の「過白岸亭」の冒頭に、「拂衣遵沙垣 緩步入蓬屋」の句がある。
 「霞網」はこの場合鳥を取るための網ではない。この場合は「霞の網」で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 一面に霞がたちこめているのを、網を張ったのにたとえていう。かすみあみ。《季・春》
 ※連理秘抄(1349)「非二水辺一物 砂、篷屋(とまや)、霞のあみ、鶴、鷺」

とある。「連歌新式心前注」にも、

 「あみのやうに立たる霞也。似物也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.269)

とある。「網」とあっても魚網のことではなく、あくまで比喩なので水辺ではない。「網」は水辺の用になる。
 「小田返(おだかえす)」はweblio季語・季題辞典に、

 「稲を刈ったあとそのままにしてある本田を、田植の用意に鋤で打返すこと」

とある。
 「布曝(ぬのさらす)」はweblio歌舞伎・浄瑠璃外題の「布晒し」に、

 「①  布を洗って日にさらすこと。
 ②  両手に長い布を持って洗いさらすさまを表す舞踊。また、その曲。長唄「越後獅子」、清元「六玉川(むたまがわ)」など。」

とある。水で洗う様は川べりを連想させるが、水辺にはならない。
 「硯水(すずりみづ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 墨をする時、硯に入れて使う水。また、そのために水入れに貯えておく水。
 ※宇津保(970‐999頃)菊の宴「加持したる水をすずり水にして奉れ給ふ」

とある。水には関係あるが水辺ではない。
 「山にある関は山に嫌之、浦にある関は浦に嫌之」の山にある関は、「連歌新式心前注」に、

 「山に有関とは、白川の関などの事也。山類也。非水辺。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.269)

とある、浦にある関は、「須磨の関、清見が関など也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.269)とある。
 「連歌新式永禄十二年注」には、

 「なこその関は、山類にも水辺にも嫌之。両方へよめれば也。
  吹風をなこその関とおもへども道もせにちる山ざくらかな
  みるめかる海士の往来のみなとぢになこその関もわがすへなくに」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.90)

とある。「吹風を」の歌は源義家(千載集)、「みるめかる」の歌は、

 みるめかる海人の行きかふ湊路に
     なこその関も我はすゑぬを
                小野小町(新勅撰集)

 「岩橋 薪 妻木 猿 瀧津瀬(已上非山類)」は山に縁のあるようでいて山類にはならない。「岩橋」は「連歌新式紹巴注」に水辺とある。
 「梯 杣木 洞 瀧 炭竈 嶋(水辺にも嫌之)」の「梯(かけはし)」はweblio辞書の「三省堂 大辞林」に、

 「①  険しいがけ沿いに木や藤づるなどで棚のように設けた道。桟道。 「木曽の-」
 ②  谷や川などにかけ渡した仮の橋。
 ③  双方の関係を取り持つこと。また、その人や物。なかだち。橋わたし。 「日中友好の-」
 ④  はしご。階段。」

とある。川に架かる橋を連想させるため、山類の用でありながら水辺にも嫌う。
 「杣木(そまぎ)」の杣(そま)はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 「古代,材木採取のために指定された山を杣とか杣山といい,杣山から切出す材木を杣木または杣といった。転じて杣木を切出す人を杣人あるいは杣という。東大寺文書,『万葉集』などに散見する。」

とある。山類の用になる。水辺に嫌うのは、材木を運ぶのに川を利用したからか。
 「洞(ほら)」は山類の体。水辺に嫌う。洞窟には水が流れていたりするからか。
 「瀧(たき)」は山類の用。これは言うまでもなく水が流れているので水辺に嫌う。「連歌新式紹巴注」には、

 「滝は山類用、水辺体也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.194)

とある。
 「炭竈(すみがま)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 木材を蒸し焼きにして炭(木炭)を製造する窯(かま)。土、石、煉瓦などでつくられ、ふつう卵形で、手前に窯口、反対側に煙突が設けられ、中に木を入れ、口から点火して蒸し焼きにする。製法によって、黒炭をつくる黒炭窯と白炭をつくる白炭窯にわけられる。黒炭窯は土で築かれ、炭材の炭化の後に、窯を密閉して火を消すもの(窯内消火法)で、白炭窯は壁を石で、天井を土で築き、炭化後に精錬を行ない、白熱したものを窯から出して土をかけて火を消すもの(窯外消火法)。すみやきがま。《季・冬》
 ※元良親王集(943頃か)「ひとりのみよにすみかまにくふるきのたえぬ思をしる人のなさ」

とある。山類の用なのはわかるが、水辺に嫌う理由はよくわからない。
 「嶋(しま)」はもとより水辺の体。
 「岡(已上非山類)」はこのあとの「体用事」のところに(已上山体也)とあるので、よくわからない。「連歌新式永禄十二年注」の体用事のところには、山類と水辺の両方に「島」がある。

0 件のコメント:

コメントを投稿