2019年6月13日木曜日

 今日は晴れた。梅雨の中休みだ。夕暮れには久しぶりに月を見たような気がする。半月よりも丸い十一日の月だ。
 それでは「応安新式」の続き。

 「夕に日ぐらし 時雨に時の字 名所の春日に日(如此不可嫌之)
 玉章にこと葉 歌にことのは 敷島の道に歌 偽にまこと 別に衣々 涙に袖の露 生死に命 齢に老 親に子 なくに涙 帰にわかれ うきにつらき・かなしき(如此類不可付之)」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.303)

 「夕に日ぐらし 時雨に時の字 名所の春日に日」は「連歌新式永禄十二年注」に「雖云不嫌之、不可然。打越可嫌之」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.113)とある。二条良基の頃には嫌わなかったが、紹巴の時代には嫌うようになったということか。
 「玉章にこと葉 歌にことのは 敷島の道に歌」はほとんど同語反復といっていい。「別に衣々 涙に袖の露」も同じ。「うきにつらき・かなしき」も同じ。こうした類語は打越はもとより付けるのも嫌う。
 「偽にまこと」のような対義語も同様に嫌う。

 「下紐 ひれ(衣裳也) 帯 冠 沓 衣々(非衣裳)」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.303)

 これは衣裳に関するものだが、「下紐」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、

 「〔上代は「したびも」〕
  ①  装束の下、小袖の上に結ぶ帯。したおび。
  ②  下裳したもまたは下袴したばかまの紐。 「愛うるわしと思ひし思はば-に結ひ付け持ちて止まず偲しのはせ/万葉集 3766」

とあるように、衣裳の一部になる。
 「ひれ」も領巾という字を書き、コトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 「比礼とも書く。大化改新前から奈良時代にかけて用いられた女性装身具の一つ。両肩に掛けて左右へ垂らした長い帯状の布帛 (ふはく) 。奈良時代以来,装飾として礼服,朝服に使用され,平安時代に入って,一般には用いられなくなったが,女房装束として晴れ着には裙帯 (くんたい) と合せて着用された。地は紗,綾で,色は白や櫨 (はじ) だん,楝 (おうち) だんが多い。」

とあるように衣裳の内に入る。
 これに対し、「帯」はウィキペディアに「和服の帯は江戸時代初期までは幅10cm程度の細い物であった。紐が使われることもあった。」とあるが、これらは紐と呼ばれていた。「帯」は古代には革帯を意味し、帯鉤という金具で締め付けていた。
 「連歌新式心前注」に、

 「今人のする帯がひも也。ひもとは衣裳のはづれのことなり。帯、いしょうのうへにする物也。只の帯の事にはあらず。玉・沈・香などにてする物也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.288)とある。
 「冠」「沓」も衣裳にはならない。
 「衣々(きぬぎぬ)」は男女の朝の別れのことで、それぞれ衣服を着る所に語源があるにしても、それぞれの衣服のことを言い表す言葉ではない。ゆえに衣裳にはならない。

0 件のコメント:

コメントを投稿