2019年6月11日火曜日

 「応安新式」の続き。
 次は居所と居所でないものについて。

 「盬屋 宮居 寺(已上居所不可嫌之) 簾 床 御座(已上居所也) 都 御階 百敷 雲上 九重(已上非居所非名所)」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.302)

 「盬屋(しおや)」の用例は『千載集』神祇の、

   白川法皇くまのへまゐらせ給うける御ともにて、
   しほやの王子の御まへにて、人人歌よみ侍りけるに、
   よみ侍りける
 おもふことくみてかなふる神なればは
     しほやにあとをたるるなりけり
              後三条内大臣

 また、『新古今集』の神祇にも。

   白河院が、熊野に御参詣になった時に、
   御供の人々が塩屋の王子で歌を詠んだ時に
 立ちのぼる塩屋の煙浦風に
     靡くを神の心ともがな
              徳大寺左大臣実能

の歌がある。
 塩屋の王子は熊野参詣道紀伊路にある熊野九十九王子の一つで御坊市にあった。
 九十九王子(くじゅうくおうじ)はウィキペディアに、

 「王子は参詣途上で儀礼を行う場所であった。主たる儀礼は奉幣と経供養(般若心経などを読経する)であり、神仏混淆的である。だが、よく言われるような熊野三山遥拝が行われた形跡は(少なくとも史料上では)確認できない。また、帰路にはほとんど顧みられることがないことから、物品の補給をおこなったとする説もあたらないと考えられている。これらの儀式が王子で行われたのは、王子とは熊野権現の御子神であるとの認識があり、すなわち参詣者の庇護が期待されたのである。」

とある。和歌では神祇として扱われていた。
 ここでは塩屋という地名に掛けて塩を焼く煙を詠んでいる。
 塩屋はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「1 塩を売る家。また、その人。
  2 海水を煮て塩を作る小屋。
 「これなる海人(あま)の―に立ち寄りて」〈謡・松風〉
  3 自慢する人。高慢な人。
 「何かあいつはきつい―だ」〈洒・売花新駅〉」

とあるが、古典に登場するのは藻塩を焼く煙りたなびく2の意味になる。製塩所なので居所ではない。
 「宮居(みやい)」も『千載集』神祇に、

   中納言家成、すみよしにまうてて歌よみ侍りける時、
   よみ侍りける
 神世よりつもりのうらにみやゐして
     へぬらんとしのかぎりしらずも
               大納言隆季

の歌がある。weblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」には、

 「①神が鎮座すること。また、その住まいとするもの。神社。
 出典千載集 神祇
 「神代(かみよ)よりつもりの浦にみやゐして」
 [訳] 神代から津守の浦に鎮座して。
  ②天皇が宮殿を造って、そこにお住みになること。また、皇居。
 出典平家物語 五・都遷
 「同国泊瀬(はつせ)朝倉にみやゐし給(たま)ふ」
 [訳] 同国の泊瀬の朝倉の地にお住みになる。」

とある。神の住まいなので居所にはならない。
 「寺」も同様、仏教の施設で、たとえ人が住んでいたとしても居所にはならない。
 「簾、床、御座」は居所になる。「御座」は「おましとも、みまし共。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.284)と「連歌新式心前注」にある。コトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、

 「①  貴人が座ったり、臥せったりする所。また、貴人の居室。 「西の対に-などよそふ程/源氏 夕顔」
  ②  貴人の敷物。 「ここかしこ-ひきつくろはせなどしつつ/源氏 蓬生」

とある。
 「都、御階(みはし)、百敷、雲上、九重」は居所でも名所でもない。「百敷(ももしき)」は「連歌新式心前注」に、

 「大裏に、畳を百帖敷て、百官をなをさるる故也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.284)

とある。
 次は植物にならないもの。

 「草枕 柴戸 松門 杉窓 菅笠 篠菴 草庵 浮木 流木 妻木 柴取 画書草木(已上非植物)」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.302)

 「草枕」は旅寝のことで本当に草の生えている上で寝るわけではない。コトバンクの「大辞林 第三版の解説」には、「草を束ねた仮の枕、の意から」だという。
 「柴戸(しばのと)」は柴を材料とした戸で、生えている柴ではないので植物にはならない。
 「松門(まつのかど)」は「連歌新式心前注」に、

 「松木にてしたる門なり。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.284)

とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、

 「松の立っている門。山住みの人の家にいう。山中の住家。
 ※壬二集(1237‐45)「とはれんとさしてはすまずまつのかど見はてんための秋の夕暮」

とある。
 「杉窓」は不明。
 「菅笠」は菅で編んだ笠。植物を原料として作られたものは基本的に植物ではないと思っていい。植物は生きている植物をいう。「篠菴、草庵」も同じ。
 「浮木(うきぎ)」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「《「うきき」とも》
 1 水の上に浮かんでいる木片。
 2 船。いかだ。
 「―に乗りて河の水上を尋ね行きければ」〈今昔・一〇・四〉
 3 マンボウの別名。」

とある。1と2の意味と思われるが、「連歌新式永禄十二年注」には、

 「何にても伐をきて、ねのなき木をも云。又、水の上に有をも云。
  昔思ふ庭に浮木をつみ置てみし世にも似ぬ年の暮哉
  天河かよふ浮木にこととはむ紅葉の橋は散やちらずや」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.108~109)

とあり。水の上とは限らない。伐った木を庭に積んでおいても浮木になる。
 「昔思ふ」の歌は西行法師で「新古今集」冬。「天河」の歌は藤原実方朝臣で「新古今集」雑中。
 「流木」は「連歌新式永禄十二年注」に、

 「流人の事をもいへり。水にながるる木にそへたり。
  流木も三年有てはかへるなり身のうきことぞ限しられぬ
  流木と立しら浪と焼塩といづれかからきわたつみのそこ」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.109)

とある。「立しら浪と」の歌は菅贈太政大臣(菅原道真)で「新古今集」雑下。
 「妻木(つまぎ)」は爪木で薪にする小枝のこと。水無瀬三吟の三十二句目に、

   さゆる日も身は袖うすき暮ごとに
 たのむもはかなつま木とる山   肖柏

の句がある。
 「柴取」の柴も薪にしたり垣根にしたりするもので、生きてないものは植物にならない。
 「画書草木」つまり絵に描いた草木も生きてないので植物にはならない。ただし、「連歌新式永禄十二年注」には「花を書ば春になり、紅葉を書ば秋になる也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.109)とある。

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