今日は旧暦五月十五日。今日の空はすっきりと晴れて久しぶりに富士山を見た。そして夜には満月が、時折雲に隠れながらも見えている。
最近ではストロベリームーンとか言うらしいが、今の日本だとイチゴの季節は三月四月でやや遅い。どちらかと言うと枇杷の季節だ。ロークワットムーンの方がいいのではないか。
曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』では覆盆子(いちご)は四月になっている。本来覆盆子はラズベリー系のキイチゴのことだが、日本では室町時代にその栽培は廃れ、江戸時代の俳諧に出てくる覆盆子はクサイチゴのことと思われる。
風流の初めやおくの田植歌 芭蕉
の発句に須賀川の等躬は
風流の初めやおくの田植歌
覆盆子を折て我まうけ草 等躬
という脇を付けている。
五月の異名としては同じく『増補 俳諧歳時記栞草』に、鶉月、橘月、月見ぬ月、早苗月が挙げられている。
さて、そろそろまた俳諧のほうに戻ろうかと思う。五月の俳諧といえば、延宝三年、宗因が江戸にやってきたとき芭蕉(当時は桃青)が同座した百韻がある。その発句、
延宝三卯五月、東武にて
いと凉しき大徳也けり法の水 宗因
は当時本所にあった大徳院での興行で、「大徳」に法の水を添えている。
大徳院は「お寺めぐりの友」というサイトによると、
「大徳院は、高野山真言宗のお寺です。 徳川家康によって、文禄3年1594に和歌山県の高野山に開かれました。 高野山を開いた弘法大師の「大」と徳川家の「徳」をとって「大徳院」と称しました。 それ以来、徳川家の勢力を背景に、全国に末寺ができましたが、大徳院は諸国末寺の総触頭として、寛永年間1626-1639神田紺屋町に屋敷を拝領し、寛文9年1666本所猿江に移転の後、貞享元年1684 2月、2000坪の土地をこの地両国に拝領し、移転しました。」
とのことで、延宝三年は寛文と貞享の間なので本所猿江にあった。
『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注には、『源氏物語』若紫の「いとたふとき大徳なりけり」を踏まえたものだと言う。
マラリアを患った源氏の君が、北山のなんとか寺という所に霊力のある修行僧がいると聞いて尋ねてゆくと、峯の奥ではまだ山桜が咲いていて、岩窟のなかにみすぼらしい格好をした人がいて、今は俗世を捨ててしまったので、修法などのやり方も捨ててしまい忘れてしまったなどと言うが、
「いとたふときだいとこなりけり。さるべきものつくりて、すかせたてまつり、かぢなどまゐる程(ほど)日たかくさしあがりぬ。」
(そこはやはりありがたい高僧でした。しかるべき薬を作っては飲ませ、加持などを終えた頃には、既に日は高く登ってました。)
となる。
興行場所の大徳院に掛けて、これはこれは涼しい高僧に招かれまして、と挨拶になる。
これに対し、大徳院主の磫畫が脇を付ける。
いと凉しき大徳也けり法の水
軒を宗と因む蓮池 磫畫
宗因の名前を読み込んで、法の水に蓮池を付ける。『校本芭蕉全集 第三巻』には、
法の水深きさとりをたねとして
むねの蓮の花ぞひらくる
という「玉葉集」の歌を引いている。
0 件のコメント:
コメントを投稿