昨日は新潟の方で大きな地震があった。震源は鼠ヶ関に近い。『奥の細道』の旅で芭蕉と曾良は六月二十八日に村上に宿を借り、村上城を訪ねている。
みんなの無事を祈りつつ「いと凉しき」の巻の続き。
初裏、九句目。
よみくせいかに渡る鳫がね
四季もはや漸々早田刈ほして 似春
似春はコトバンクの「朝日日本歴史人物事典の解説」に、
「没年:元禄年間?(1688~1704)
生年:生年不詳
江戸前期の俳人。通称は平左衛門。俳号は初め似春,晩年に自準と改める。別号,泗水軒。京都大宮に住したようだが,のち江戸本町に移る。晩年は下総行徳で神職に就く。俳諧は初め北村季吟に学び,のち西山宗因に私淑する。『続山井』(1667)以下季吟・宗因系の選集に多くの入集をみている。江戸に移住後は,松尾芭蕉とも交わり,江戸の新風派として活躍した。延宝7(1679)年冬,上方に行脚,諸家と連句を唱和して『室咲百韻』(『拾穂軒都懐紙』とも)を編み,帰府後には『芝肴』を編んでいる。晩年は隠遁,清貧を志向し,「世をとへばやすく茂れる榎かな」などの句を残している。(加藤定彦)」
とある。
『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注は、『徒然草』第十九段を引用している。注にあるよりやや長めに引用しておく。
「七夕祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど、雁鳴きてくる比、萩の下葉色づくほど、早稲田(わさだ)刈り干すなど、とり集めたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。言ひつゞくれば、みな源氏物語・枕草子などにこと古りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。おぼしき事言はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝあぢきなきすさびにて、かつ破やり捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。」
「四季」は「史記」と掛けているという。
十句目。
四季もはや漸々早田刈ほして
あの間此間に秋風ぞ吹く 主筆
『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、「前句『四季』を四季の襖絵として、それにあしらう。」とある。
確かに『四季耕作図』という定番の画題もある。
十一句目。
あの間此間に秋風ぞ吹く
夕暮は袖引次第局がた 磫畫
「局(つぼね)」はこの場合は大奥ではなく局女郎(つぼねじょろう)のことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、
「遊里で下級の女郎。上方、江戸の地域、または時代によりその品格は異なり、古くは必ずしも最下等の遊女ではなく、江戸新吉原でも、中程度の品格の者から種々含まれていたが、後期には、局(つぼね)と称する狭い長屋風の部屋に一人ずついて、時間で客をとる遊女を多くさしていう。つぼね。つぼねじょうろう。
※評判記・色道大鏡(1678)一「端女(はしおんな)。端女郎とも、局女郎(ツボネチョラウ)とも、あそびとりともいふ。けちぎり女の事なり」
とある。
袖を引っ張って部屋に誘い込もうとするが、なかなか世知辛いの中でどの部屋も秋風が吹いていて、遊女の哀愁が漂う。
十二句目。
夕暮は袖引次第局がた
座頭もまよふ恋路なるらし 宗因
座頭というと琵琶か三味線を弾いて浄瑠璃姫の恋物語などを唄う者だが、その座頭も恋の道に迷うのだから、ましてや凡夫が局女郎に迷うのももっともなことだ。
状況を限定しない一般論で付けることで次の展開を図る。
十三句目。
座頭もまよふ恋路なるらし
そびへたりおもひ積て加茂の山 桃青
これは座頭積塔からの発想で、恋路に迷う、まさに恋は盲目の座頭が加茂の川原に高い積塔を積み上げる。芭蕉らしい奇抜な発想だ。宗因も予想外の展開にびっくりしたのではないか。
座頭積塔は「都名所図解」というサイトによると、
「座頭積塔(ざとうのしゃくたふ) といふは、人王五十八代光孝天皇の姫宮雨夜内親王、御眼盲給ひてより、洛中の女の盲者を召して御伽をせさせ給ひ、賤しきには官を賜ひ、御前に伺候するゆゑ、御前と風儀しけり。それより男子の盲人も官を賜ひて座頭と称し、検校・勾当の官に任ずる事、この内親王よりの遺風なり。毎歳二月十六日はこの姫宮の御祥忌なれば、座頭集会をなして尊影を拝し、東の河原に出でて石を積みて報恩す。これを積塔といふ。」
とある。
十四句目。
そびへたりおもひ積て加茂の山
室のとまりの其遊びもの 幽山
さて、式目では恋は五句まで続けることができるので、さらに畳み掛けてゆく。
「室のとまり」は室津のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、
「兵庫県揖保(いぼ)郡御津町の地名。播磨灘に面する。漁港があり、奈良時代は播磨五泊の一つに数えられる要港。中世には倭寇の根拠地となり、江戸時代は瀬戸内海航路の寄港地であった。遊女の発祥地としても知られた。瀬戸内海国立公園の一部。室。室の津。室の泊り。室津の泊り。」
とある。
『校本芭蕉全集 第三巻』の注にもあるが、謡曲『加茂』には、
「抑これは播州室の明神に仕へ申す神職の者なり。
さても都の賀茂と当社室の明神とは御一体にて御座候へども。いまだ参詣申さず候ふ程に。此度思ひ立ち都の賀茂へと急ぎ候。」
とある。
室津の遊女を求めて集まる遊び人たちは、積もる思いを室の明神と一体の加茂の明神に託す。
十五句目。
室のとまりの其遊びもの
草枕おきつ汐風立わかれ 木也
さて、恋もここまでの五句目。「立わかれ」というと、
たち別れいなばの山の峰に生ふる
まつとし聞かば今帰り来む
中納言行平
の歌も思い浮かぶ。
十六句目。
草枕おきつ汐風立わかれ
一生はただ萍におなじ 信章
恋を去り無常に転じる。「新古今集」に、
葦鴨の羽風になびく浮草の
定めなき世を誰か頼まむ
大中臣能宣朝臣
の歌がある。
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