2019年6月25日火曜日

 トランプ大統領が日米安保破棄のことを言ったとか言わないとか。
 ただ、トランプさんは選挙の時からアジアからの米軍の撤収を考えていたし、日米安保破棄も別におかしなことではない。
 ただ、すぐにというわけにも行かない。だから北朝鮮の非核化や中国経済の自由化に向けてかなり力を入れている。それがある程度達成できたなら、もはや米軍は必要ないということなのだと思う。そうなれば沖縄の基地問題も自然消滅する。
 アメリカも別に日本のために北朝鮮問題を解決しようとしているのではない。ただ、軍事費を削るには結局紛争を解決し、平和な世界を作るしかない。そうやって世界が平和になるならそれが一番だ。
 平和に賛成、ゲームで遊んでみんな幸せが一番ということで、「いと凉しき」の巻の続き。

 三表。
 五十一句目。

   うり家淋し春の黄昏
 欠落の跡は霞の立替り      似春

 「欠落(かけおち)」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 「近代法における失踪,律令制における逃亡に比当される近世法の用語。町方,村方に欠落人が生じると,町村の役人はこれを管轄官庁に届け出る。官庁は,親類町村役人へ,たずね出しを命じ,180日を経て発見しえない場合には,永尋 (ながたずね) の命を下した。永尋は,捜索人の懈怠を責めるものであるが,裏面において,今日の失踪宣告とほぼ同様の効果を生ぜしめるもので,これによって,欠落人の財産は相続人に移転された。なお,以上の制度は明治初期においても,「逃亡尋」と名を変えて,日限その他,そのままに行われていた。ちなみに,江戸期の奉公人証文にも,「欠落」の文字がしばしばみえるが,これは奉公人が契約期間満了前に失踪することである。そして,この場合には,請け人が弁償義務を負うのが通例であった。」

とある。ウィキペディアには、

 「欠落(かけおち・闕落)とは、戦乱・重税・犯罪などを理由に領民が無断で住所から姿を消して行方不明の状態になること。江戸時代には走り(はしり)などとも称された[1]。武士の場合には出奔(しゅっぽん)・立退(たちのき)などと呼んで区別したが、内容的には全く同一である。」

とある。
 「かけおち」というと、今日では一般に男女の駆け落ちの意味でしか使われない。欠落の原因の中には確かにこういうものもあっただろう。いつごろから男女の示し合わせた失踪を意味するようになったか、興味深い所だ。
 延宝の頃にはまだそういう意味はなかったのだろう。「欠落」は恋の言葉ではないし、次の句で恋に転じられることもない。
 前句の「うり家」の原因を住人の失踪とし、春の黄昏に霞を添える。
 五十二句目。

   欠落の跡は霞の立替り
 雪崩れする其岩のはな      幽山

 春になると雪が融けて雪崩が発生する。岩鼻だから雪庇の崩落か。
 前句の「欠落」を雪庇の欠け落ちることとする。
 五十三句目

   雪崩れする其岩のはな
 松明の煙につづく白湯かた    信章

 「湯かた」は本来は湯帷子(ゆかたびら)だが略してそう呼ばれる。「浴衣」とも書く。コトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、

 「近世以前,蒸風呂での入浴の際着用した麻の湯帷子(ゆかたびら)の略。江戸時代以後現在のように裸体で入浴するようになって,浴後に着る木綿の単(ひとえ)を浴衣というようになり,暑中の外出にも用いられるようになった。白地または藍(あい)地の鳴海(なるみ)絞や中形(ちゅうがた)などが多く用いられる。」

とある。
 『校本芭蕉全集 第三巻』の注には「行者の服装」とあるが、行者の着る白い衣は「鈴懸(すずかけ)」で、これを白ゆかたと呼ぶこともあったのか。
 あくまで風呂で着る浴衣だとしたら、あるいは山の中の温泉の風景なのかもしれない。この翌年の桃青・信章の両吟「此梅に」の巻の三十二句目に、

   たまさかにこととふ物はげたの音
 なを山ふかく入し水風呂     信章

の句がある。
 五十四句目。

   松明の煙につづく白湯かた
 果しあふよに出あへや出あへ   宗因

 この句が難しいのは、結局この松明に続く白浴衣の人たちが何者なのかが特定できないからだ。当時の人には多分すぐにわかったのだろう。
 白浴衣が行者だとしても、何でそれが果し合いになるのかわからない。
 かなり後のことだが享和元年(一八〇一)に足達八郎が杖立温泉で決闘をして六人を斬るという事件が起こるが、宗因の句にも何か当時の人なら知っている元ネタがあったのかもしれない。
 五十五句目。

   果しあふよに出あへや出あへ
 声高のみなもと聞ば衆道也    磫畫

 果し合いは衆道のいさかいだった。衆道ネタというと芭蕉も得意だが、宗因の句にもあるし、当時は俳諧には付き物のネタだったのだろう。磫畫も大徳院のお坊さんだから、この道には詳しいのかも。
 元禄七年の「鶯に朝日さす也竹閣子 浪化」の句を発句とする歌仙の十二句目に、

   小屋敷並ぶ城の裏町
 謂分のちょっちょっと起る衆道事 去来

の句がある。
 俳諧に登場する衆道には性奴隷のような悲惨さは見られない。遊女の句とは明らかに違う。
 五十六句目。

   声高のみなもと聞ば衆道也
 よりて芝居の垣間見をせん    吟市

 衆道と芝居との間には深い係わりがあった。女性による歌舞伎が売春に係わるなど風紀上の問題で寛永六年(一六二九)に禁じられ、今日のように男ばかりで歌舞伎が上演されるようになったが、そこにもやはり男娼による売春が行われていたりした。江戸中期になると陰間茶屋が芝居小屋に併設されるようになる。
 衆道の呼び込みの声に誘われて、芝居をちょっと覗いて行くということもあったのだろう。
 五十七句目。

   よりて芝居の垣間見をせん
 おもほえず古巾着の銭をさぐり 又吟

 又吟さんの二回目の登場。
 芝居を見るためにふところの巾着に銭があったかどうか探る。日常の何気ないことをそのまま詠んだ感じだ。
 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は『伊勢物語』第一段を引用している。

 「その里にいとなまめいたる女はらから住みけり。この男かいまみてけり。 思ほえずふる里にいとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。」

の「かいまみてけり。 思ほえず」が歌てにはのように上句と下句を繋いでいる。
 後の「軽み」の時代なら、この出典は必要なくなっていたかもしれないが、当時としては証歌や出典が必要だったのだろう。
 又吟も目立たないが、ちゃんとそういう技術を身につけた連衆だったと思われる。
 五十八句目。

   おもほえず古巾着の銭をさぐり
 めくら腰ぬけ夢の世中     似春

 「腰ぬけ」は本来は腰が悪くて立てない人のことで、転じて臆病者のことになった。
 目の不自由な人、腰に障害のある人、見ていて思わずお金を恵んであげたくなる。障害が有ろうともなかろうとも、ともに夢のように儚い人生、せいぜい助け合って楽しく生きていこうではないか。
 五十九句目。

   めくら腰ぬけ夢の世中
 慮外者さはらばなどと肱を張  幽山

 「慮外者(りょがいもの)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「不埒な者。慮外な人。無礼者。特に、武士に対して無礼なことをした者をいうことが多い。
 ※俳諧・鷹筑波(1638)二「君が代に春たったりや慮外(リョクヮイ)者〈宗次〉」

とある。
 巾着袋を探るものもいれば、寄るな触るなとばかりに肱を張って威嚇する者もいる。こういう心ない輩を慮外者という。いったいどっちがめくらで腰抜けなのか。
 六十句目。

   慮外者さはらばなどと肱を張
 上様風の吹旅の空       少才

 前句を「慮外者!さはらば」で台詞とし、上様風を吹かしている偉そうな旅人とする。

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