2019年6月14日金曜日

 左翼の間ではようやく香港のデモの支援が解禁されたようだ。ネトウヨは最初から支援している。いずれにせよ香港加油(ガーヤウ)!
 ホルムズ海峡付近で攻撃を受けた国華産業(三菱系)の船の乗組員は、何かが飛んできたと言っていたのだが、いつのまにか船腹に仕掛けられたリモコン式の爆弾だなんてニュースになっていた。何だか情報が二転三転している。
 せっかくの我国の首相の調停も妨害された形になり、日本にとってもイランにとっても良いことではない。どこかに戦争を望む者がいるのか。きな臭い話だ。
 まあそれはともかくとして、ここは風流のサイトなので「応安新式」の続きを。

 「平秋の句に恋の秋付て、又平秋句不可付之、恋にも雑にも分がたからん句をば、已前の句に准て可用之(他准之、) 朽木と云句に杣と付て、又杣の名所不可付之、生田と云句に森と付て、杜の名所、かくし題にも不可付之、槇には木の字を不可憚、槇木戸には、木字五句可嫌之、良材之故也、」

 これは輪廻に関連したものか。普通の秋の句に秋の恋句を付けて、また普通の秋に戻すのは輪廻になる。
 「連歌新式永禄十二年注」に、

 「春の句に旅をむすびて、一句二句行て、又、春計の句などあしき也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.114)

とあるように、秋と恋に限らず、春と旅でも同様にただの春に戻るのを嫌う。恋か雑かわからないような句を付けて逃れる分にはいい。
 「杣」は前に杣木のところで述べたように、材木採取のために指定された山をいう。「朽木」に「杣」を付けると前句の朽木は単なる朽ちた木のことではなく、近江国の朽木(くつき)のことに取り成される。
 朽木の杣は「新古今集」に、

   年ごろ絶え侍にける女の、
   くれといふ物尋ねたりける、つかはすとて
 花咲かぬ朽木の杣の杣人の
     いかなるくれにおもひいづらむ
                 藤原仲文

という歌があり、また「金葉集」にも、

 年ふれど人もすさへぬ我が恋や
     朽木の杣の谷の埋もれ木
                 藤原顕輔朝臣

の歌がある。
 朽木が名所に取り成されているため、「朽木」と来て「杣」と来たその後に他の杣の名所を出すことはできない。
 榑(くれ)はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、

 「①  板材。平安初期の規格では長さ一丈二尺、幅六寸、厚さ四寸。榑木。
  ②  薄板。へぎ板。板屋根などをふくもの。 〔下学集〕
  ③  薪。」

とある。「暮れ」と掛けている。
 「生田の森」は名所で、コトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、

 「生田神社境内の森。源平および新田・足利両氏の合戦があった所。今は、数本の巨木を残すのみ。
 ⦅歌枕⦆ 「君住まばとはまし物を津の国の-の秋のはつ風/詞花 秋」

とある。前句と二句合わせて生田の森とした場合、次の句にまた森の名所を付けることはできない。
 「かくし題にも不可付之」とあるのは、「連歌新式永禄十二年注」に、

 「木がらしとつくれば、木枯の杜になる也。是かくし題也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.115)

とある。「木枯の杜」はウィキペディアに、

 「木枯森(こがらしのもり)または木枯ノ森は、静岡県静岡市西部を流れる安倍川最大の支流、藁科川の河川敷にある中州である。静岡県指定の名勝となっている。」

とあり、

 「古来より和歌の世界では駿河国の歌枕として詠まれてきた。また、清少納言の随筆『枕草子』「森は」の段で述べられる「木枯らしの森」がこの地と考えられている(かつて京都市右京区太秦にあった同名の森とする説もある)。」

とある。
 はっきりと木枯しの杜と言うのではなく、森に木枯しが吹いてみたいに匂わすだけでも隠し題になるのでNGとなる。
 「槇」は杉や檜などをいうものなので、普通に木材や木でできたものの意味での「木」の字には嫌わないが、「真木戸」と「木」の字は五句去りになる。この場合の「真木」は良材の意味になるからだ。

 「躑躅 卯花(は木也) 藤(は草也) 海人小ふね・泊瀬山(舟の字に付て、水辺に可嫌之) 棹姫(は春也)
 立田姫は秋也 山姫は雑也、
 てにをはの字、相合て不可付之、」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.303)

 このほか紛らわしいものに草類なのか木類なのかというものがあるが、躑躅(つつじ)は木類になり、藤は草類になる。前に述べたが「竹」はどちらにもならない。
 「海人小ふね・泊瀬山」というのは『万葉集』の、

 海人小舟泊瀬の山に降る雪の
     日長く恋ひし君が音ぞする

のように「海人小舟」が泊瀬に掛かる枕詞に用いられる場合を言う。実際の泊瀬は「こもりくの泊瀬」で内陸部にある。
 「棹姫(さおひめ)」は佐保姫のことなので春。「立田姫」は紅葉の名所竜田川の女神なので秋になる。
 「山姫」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「 山を守る女神。
 「わたつみの神に手向くる―の幣(ぬさ)をぞ人は紅葉と言ひける」〈後撰・秋下〉」

とあるが、「デジタル大辞泉プラスの解説」には、

 「日本の妖怪。山中に住む女の妖怪。人の血を吸い死に至らしめるなどの言い伝えが全国各地に広く残る。「山女」とも。」

とある。無季で神祇にもならない。
 「てにをはの字、相合て不可付之」は「連歌新式心前注」に、

 「相合とは、下句の腰のてと、上句のてどまりとの事なり。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.290)

とある。これはよくわからない。「連歌新式紹巴注」には、「こしのとまり也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.191)とだけある。
 上句の末尾を「て」で止めることはよくあるが、そのあと下句に「て」の字を使うなということか。
 こうした細かな注意は句材をいろいろなカテゴリーに分けて去り嫌いのルールを適応する際、典型的なものはそれほど問題はない。ただ、どっちだろうかと迷うものもあるので、ある程度の目安を示したものと思われる。
 以前、概念は記憶による構造化で、個体発生的に作られるため、他の概念との境界は曖昧になるということを、よくある遠足ネタで「先生、バナナはおやつですか?」という例で述べたが、おやつか弁当かの境界は確かにはっきりしない。
 それと同じように、「藤は草ですか木ですか」ということにも一応の取り決めをする必要があった。

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