大阪のG20も終った。世界に日本の狭さを発信できたか。まあ、昔は狭いお茶室にそうそうたる公家や大名が集まったのだから、これも侘茶の心とわきまえるべし。
今の年金は税金とは別に徴収し、29年度は53兆円くらい集めたという。税収の60兆円にも迫る額だ。これに1兆6千万の失業保険の歳入を加え、すべて一括化してそれをそれを国民の数で割れば、一人当たり年間43万円くらいになる。月三万六千円のベーシックインカムは可能だ。これに生活保護費に当てられている国税・地方税も合わせれば、さらに上乗せできる。
これを全部国税に一括できれば、地方税は減税になるし、保険料もなくなる。その分国税の何らかの増税にはなるが、手続きの簡素化などのメリットもある。何よりも細かな、あれを持っている、わずかでも働いているとかの理由で減額されたり消滅したるする心配がないので、ベーシックインカムの導入を考えてみる価値はあるだろう。
「働かざるもの食うべからず」という価値観は根強いが、将来はAIとロボットでそうも言っていられなくなるだろう。わざわざ生産効率を落としてまで雇用を作るとしたら、それも本末転倒だ。働かなくても食える社会、働けばもっといい暮らしのできる社会、それが輝ける未来ではないか。
ただ、みんなそれで本当に働かなくなると困るから、ベーシックインカムは定額保障ではなく、税収の一定比率に定めてそれを配分する方式にした方がいい。
さて、旧暦五月も残す所あとわずか。それまでに挙句までいけるか。「いと凉しき」の巻の続き。
八十一句目。
うしろ帯して塗笠編笠
屋敷者跡にたつたは年こばい 吟市
「屋敷者(やしきもの)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」ぶ、
「大名、旗本などの武家屋敷に住んでいる人。武家屋敷に奉公している人。また、その経験のある人。屋形者。屋敷。
※俳諧・談林俳諧(1673‐81)「うしろ帯して塗笠編笠〈似春〉 屋敷者跡にたったは年こばい〈吟市〉」
とある。
「年勾配(としこばい)」も同じくコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「 年齢にふさわしいこと。年かっこう。
※甲陽軍鑑(17C初)品四〇下「さすがに武士の心ばせなき者ならず、年こばいに相似あはぬとも申さんずるが」
とある。
武家屋敷で奉公する女中さんが入れ替わったことで、年相応の人物が入ってきた。それが「うしろ帯して塗笠編笠」となる。前帯をするのはやはり若いと言うイメージがあったのだろう。
八十二句目。
屋敷者跡にたつたは年こばい
順の舞には小々性が先 又吟
又吟さんの三句目。
「順の舞(じゅんのまい、ずんのまい)」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「席にいる者が順に舞をまうこと。また、その舞。
「我を覚えぬ程の酔のまぎれに―の芸づくし」〈浮・桜陰比事・一〉」
とある。今でも宴会の時などには順番に芸を求められることがある。
「小々性(こごしょう)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「まだ元服していない年若い小姓。
※信長記(1622)一五上「小々姓(コゴシャウ)には森らんまる」
とある。
宴席で芸をやる時は、若い者からというのが普通だ。会社の宴会でもまず新入社員から始まって、課長、部長と上がっていって、最後に社長がトリを勤めることが多い。
新入りとはいえある程度の年の人なら、やはり若手の方が先になる。
八十三句目。
順の舞には小々性が先
常紋の袴のそばをかいどりて 似春
常紋は定紋で家紋のこと。「かいどる(掻い取る)」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、「着物の褄つまや裾を手でつまんで持ち上げる。 」とある。前句の小々姓の舞い姿を付ける。
八十四句目。
常紋の袴のそばをかいどりて
雨にも風にもかよはふよなふ 宗因
前句を雨で水溜りができたところをすそを濡らさないように歩く姿とする。夜這いの句にする。「かよはふよなふ」は通ってくるものもいれば、それを迎えて手助けするものもいるということ。
八十五句目。
雨にも風にもかよはふよなふ
夢うつつ女姿のちみどろに 幽山
『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、
「産婦鳥(ウブメ)。若い産婦の死霊が血にまみれて出て来る其の姿。前句をウブメが子のもとに通おうという語としてつけた。ウブメは雨や風の夜にあらわれる。」
とある。
多分大体これでいいのだと思う。ただ、ウブメは産死した産婦の霊で、赤ん坊を人に抱かせたり、赤ん坊をさらったりするが、子供の元に通うというのはよくわからない。子供と共に死んでいるはずだから。
これは産死した妻のお墓をせっせと尋ねる夫の句で、熱心にお参りしていると夢にウブメとなった妻が現れるということではないかと思う。
そうして死んだ子供を抱いてやると成仏するとか、そんな良い話なのではないかと思う。
ウブメというと翌年春の桃青信章両吟「此梅に」の巻の七十二句目に、
君ここにもみの二布の下紅葉
契りし秋は産妻なりけり 桃青
の句がある。これも亡き妻に会えたという句になっている。「ちみどろ」ではなく「二布の下紅葉」と綺麗に仕上がっている。
八十六句目。
夢うつつ女姿のちみどろに
胸にたくのを別火とやいふ 木也
「別火(べっか)」はウィキペディアに、
「別火 (べっか)とは日常と忌み、物忌みの状態の間で穢れが伝播することを防ぐため、用いる火を別にすることである。
穢れは火を介して伝染すると考えられており、日常よりも穢れた状態(忌み)から穢れが日常に入ることをさけるため、また日常から穢れが斎戒(物忌み)を行っているものに伝染することを防ぐために用いる火を別にすることが行われた。
この目的のために、日常の住居とは別に小屋が設けられることもあり、忌みの者(月経、出産時の女性)がこもる小屋を「忌み小屋」「他屋」、物忌み中のものがこもる小屋を「精進小屋」などと呼んだ。」
とある。
前句の血みどろの女の幽霊に対し、胸にまだ残る恋の炎が別火となって、その穢れを防いでくれる。
八十七句目。
胸にたくのを別火とやいふ
ししくふた酬ひを恋にしられたり 信章
「ししくふ」は鹿を食うことをいう。昔は鹿のことを「しし」と言った。鹿神を「ししがみ」と言い、鹿除けを「ししおどし」という。
ただ、仏教思想の浸透した時代には、殺生をすると報いがあると考えられていた。中世の連歌には、
罪の報いもさもあらばあれ
月残る狩り場の雪の朝ぼらけ 救済(きゅうせい)
の句もある。
鹿の祟りのせいか恋も思うように行かず、めらめらと嫉妬の炎を燃やす。これは穢れを防ぐ別火か。前句の「とやいふ」という疑問の言葉を生かしている。
八十八句目。
ししくふた酬ひを恋にしられたり
たが参宮の伊勢ものがたり 吟市
『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、『和訓栞』の「ししくふむくひといふ諺も神宮にもはら猪鹿を忌よりいへるなるべし」の言葉を引用している。
伊勢神宮の諺に恋物語の『伊勢物語』を掛けている。もちろん実際の『伊勢物語』に鹿を食った報いの話はない。鹿の声を聞く話ならある。
八十九句目。
たが参宮の伊勢ものがたり
見たひ事じゃ松坂こえてかけ踊 宗因
前句を単に誰かの伊勢参宮の土産話のこととして、その話を聞いているうちに松坂のかけ踊りを見たくなる。
「かけ踊」はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、
「盆の踊りなどで踊り組が互いに踊りを掛けあい競いあう形態。室町末期から近世初期に流行した風流(ふりゆう)踊に特徴的に見られ,当時の
記録類には扮装や歌にくふうを凝らし,趣向を競った様子が記される。また風流踊を疫病送りなどに用いる所では,他村との境まで踊りを掛けて順次送り出す形態もあり,伊勢神宮まで踊り継いだ伊勢踊やお蔭踊はその変型といえる。現在岐阜県郡上(ぐじよう)地方に加喜(かき)踊が残る。【山路 興造】」
とある。ここでいう「かけ踊」は幕末のええじゃないかの「伊勢神宮まで踊り継いだ伊勢踊」の原型になるような踊りであろう。なるほど見てみたい。
九十句目。
見たひ事じゃ松坂こえてかけ踊
遠く遊ばぬ盆の夕暮 似春
『校本芭蕉全集 第三巻』の注は『論語』里仁篇の「父母在ス時ハ遠ク遊バズ。」を引用する。
わざわざ松坂までいかなくても、盆の夕暮れにはその土地の盆踊りがある。それでもやはり遠くの踊りも見てみたい。
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