2019年6月10日月曜日

 中国の脅威の前に日和見する国もある中、香港の市民は勇敢にも立ち上がった。
 日本にも中国に占領された時に備えて中国語を学ぶなんて言っていたパヨクがいたが、自由のために本当に戦う人が香港に百万人もいたのは見習うべきだろう。
 それでは「応安新式」の続き。

 春夏秋冬が終わり次は季語のようで季語にならないもの。

 「椿 蓬 葎 浅茅 蜻蛉(カゲロウ) 忘草 鴎(カモメ) 鳰(已上雑也、同浮葉も雑也)」(『連歌論集 下』伊地知鉄男編、一九五六、岩波文庫p.302)

 椿も二条良基の時代にはまだ季語ではなかったようだ。「連歌新式紹巴注」には「花又咲字入ては春也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.189)とあり、椿だけだと只椿で無季になるが、椿の花、椿咲くだと春になる。
 「浮葉」も蓮の浮き葉は夏だが、浮き葉だけだと無季になる。
 コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」には、

 「上代の文献や文学作品には数多くみられ、重要な植物である。中国の椿とは別種といわれる。常緑で生命力が盛んであることから呪(じゅ)性があると考えられ、『古事記』仁徳(にんとく)天皇条の「葉広(はびろ) 斎(ゆ)つ真椿(まつばき) 其(し)が花の 照り坐(いま)し 其(し)が葉の広(ひろ)り坐すは 大君(おほきみ)ろかも」は、天皇の勢威を賛美したものであり、『日本書紀』景行(けいこう)天皇12年条には、海石榴(つばき)を椎(つち)という武器につくり逆賊を征伐したとある。『出雲国風土記(いずものくにふどき)』意宇(おう)郡条には、草木のなかに「海榴(つばき)」がみえる。連なり咲く椿は、『万葉集』に「巨勢(こせ)山のつらつら椿つらつらに見つつ偲(しの)はな巨勢の春野を」(巻一・坂門人足(さかとのひとたり))などと詠まれており、また、椿の灰は紫草で染める媒染剤として用いられ、「紫は灰さすものぞ海石榴市(つばきち)の八十(やそ)の衢(ちまた)に逢(あ)へる子や誰(たれ)」(巻一二)などと詠まれている。平安時代に入って、『古今六帖(こきんろくじょう)』六には、万葉歌が「椿」の項目に4首、また誤読されて「ざくろ(石榴)」の項目に1首収められているが、和歌にはほとんど詠まれず、『栄花物語』「ゆふしで」や『新古今集』「賀」にわずかの例がある。椿の葉で餅(もち)を包んだ椿餅(「つばいもちひ」などとよばれる)は、『うつほ物語』や『源氏物語』などにみえる。季題は春。」

とある。常緑樹であるところから、榊のような存在で、花そのものを観賞するようになったのは後になってからだったのだろう。
 「蓬(よもぎ)」も近代俳句では単独で春の季語になっているようだが曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』には「蓬摘」と「蓬餅」は春の季語だが蓬だけでは単独で季語にはなっていない。
 『源氏物語』の「蓬生」も卯月の話になっている。
 「葎」も蓬生と同様、夏の雑草のイメージがある。近代では夏の季語になっている。曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』では追加として「葎茂る」が夏とされていて、

 山賎のおとがひ閉づる葎かな   芭蕉

の句が引用されている。ただ、芭蕉は、

 さし籠る葎の友か冬菜売り    芭蕉

のように冬の句にも詠んでいる。
 和歌では百人一首にもある、

 八重葎しげれる宿のさびしきに
     人こそ見えね秋は来にけり
          恵慶法師『拾遺集』

の歌が有名だが、秋の八重葎を詠んでいる。
 「浅茅」も浅茅生のように雑草の生い茂るイメージがある。和歌だとやはり百人一首の、

 浅茅生の小野の篠原しのぶれど
     あまりてなどか人の恋しき
          参議等『後撰集』

がよく知られているが、特に季節は限定されてない。
 「蜻蛉(かげろう)」は今日では秋の季語になっているし、曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』にも秋の所に「蜻蛉(とんぼう) 秋津虫 かげろふ やんま」とある。
 ただ「連歌新式心前注」には、

 「蜻蜒、とんばうといふ虫也。秋つはともよむ。秋つはの姿の国と云は、日本の事也。とんぼうは夏也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.283)

とある。
 「忘草(わすれぐさ)」は忍草のところでも述べたが、「連歌新式紹巴注」に「雑也。花としては夏也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.189)とある。
 「鴎(かもめ)」は今日でも無季のようだ。「鳰(にお)」は冬になっている。「鳰の海」は琵琶湖のこと。

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