2019年3月1日金曜日

 「此梅に」の巻が終わったところで、今日はちょっと元号の話でも。
 まあ、来月の一日から新元号になると言うので、テレビでは何かと「平成最後の」なんて枕詞がつくが、激動の昭和に較べると平成は地味で盛り上がりに欠ける。
 芭蕉の時代というと寛文、延宝、天和、貞享、元禄、この五つだ。これを西暦に直せと言われてもいつになっても覚えられなくて、結局グーグル先生に頼ることになる。
 以下、ウィキペディアを見ながら書くが、寛文元年は西暦一六六一年になる。後西天皇の御世だが、在位は寛文三年まで。その後は霊元天皇の御世になる。
 当時は天皇の在位期間と元号とはそれほど関係なかった。霊験天皇の在位は貞享四年までだが、そのときに改元はない。
 芭蕉は寛永二十一年の生まれだが、俳諧史に姿を現すのは寛文四年の松江重頼撰『佐夜中山集』になる。

 姥桜咲くや老後の思ひ出      宗房
 月ぞしるべこなたへ入らせ旅の宿  同

 この二年前の寛文二年にも、

   廿九日立春ナレバ
 春や来し年や行きけん小晦日    宗房

の句があるが、発表されたので一番早いのは『佐夜中山集』になる。
 「春や来し」の句は前書きに「廿九日立春」とあるところから寛文二年と分かる。
 延宝元年は西暦一六七三年になる。延宝三年には宗因の興行に参加し、この時から宗房ではなく桃青を名乗るようになる。翌四年には『江戸両吟集』を出す。
 この年の九月に大坂広岡宗信編の『千宜理記』が刊行され、先の「春や来し」の句が入集する。(『芭蕉年譜大成』今栄蔵、1994、角川書店より)
 天和元年は西暦一六八一年になる。前年の冬に深川に隠棲し、この年の春、李下から芭蕉一株を贈られ芭蕉庵が誕生する。
 貞享元年は西暦一六八四年になる。貞享四年には霊元天皇が退位し、東山天皇が即位する。
 貞享元年といえば芭蕉が『野ざらし紀行』の旅に出た年で、元禄二年の『奥の細道』までが紀行文の時代になる。いわゆる蕉風を確立してゆくのもこの頃だ。
 元禄元年は西暦一六八八年になる。翌元禄二年春に『奥の細道』の旅に出る。元禄七年に死去。
 この頃の元号は短期間でころころ変わったので、十干十二支が併用されていた。貞享元年は甲子で『野ざらし紀行』は『甲子吟行』とも呼ばれる。十干十二支は六十年で一周するが、当時の人の寿命からするとそれほど不便はなかったのだろう。また十干十二支による年の表記は韓国・中国でも共通なので、国際表記でもあった。
 日本で西暦が採用されたのは明治五年で、明治五年十二月三日が明治六年一月一日になった。ウィキペディアによると、

 「改暦は明治5年11月9日(1872年12月9日)に布告し、翌月に実施された。この年の急な実施は明治維新後、明治政府が月給制度にした官吏の給与を(旧暦のままでは明治6年は閏6月があるので)年13回支払うのを防ぐためだったといわれる。」

とある。
 村山故郷の『明治俳壇史』(一九七九、角川書店)によると、新年が冬のさ中に来たことで、

 花やかに年は来にけり松の雪    連梅
 寒菊のきよき匂ひもことし哉    等栽
 年玉に添へて出しけり寒見舞    山月

といった句が詠まれたという。
 近代俳句ではやがて歳旦の句を春夏秋冬から切り離して、独立して扱うようになった。
 明治五年には日本の伝説の初代天皇である神武天皇の即位を元年とする神武天皇即位紀元が作られた。ただ昭和初期から敗戦の年までの間を除けば一般にはほとんど使用されることがなかった。
 昭和十五年(一九四十年)は紀元二千六百年ということで盛り上がったという。ただこの頃は日中戦争が泥沼化し、予定されていた東京オリンピックが中止になった。代替地はヘルシンキだったが、ここも前年の第二次世界大戦の勃発によって中止になった。
 この紀元二千六百年に登場したあの有名な戦闘機はその年の下二桁を取り「零式」とされた。いわゆるゼロ戦だ。このゼロ戦に関しては例外的に敵性語である「ゼロ」が用いられた。
 あちこちの狛犬を見て歩いていると、時折紀元二千六百年銘の狛犬に出会う。
 戦後になると紀元は用いられなくなり、君が代・日の丸・天皇制の廃止を求める声と平行して、元号に対しても廃止を主張する人たちもいた。
 二つの暦がある事で、コンピュータのプログラムを組む際にもそれだけ手間がかかる。
 韓国独自の元号は併合によって終り、戦後の韓国・北朝鮮ともに元号はないままになっている。
 中国では明の時代から皇帝の名前が元号になり、辛亥革命によって終る。
 よって今日元号を持つのは日本だけになっている。
 元号を持つ意味は何だろうかと思うに、それは複数の暦を日常的に使い分けることで、時間が一つではないということを知るのに役に立つのではないかと思う。世界には西暦や元号以外に様々な暦が存在する。
 日本語の文字は平仮名、片仮名、漢字の三種類を使い分けることで、古来の日本文化(平仮名、漢字の訓読み)と中国から来た文化(漢字の音読み)、西洋やその他の国から来た文化(片仮名)を区別して表記している。このことで日常的に三つの文化の別を常に意識することができる。
 世界は一つではなく常に多元的で、多様な文化の体系の中で生きていることを自覚するには、三種の文字と同様、二種の暦も有用なのではないかと思う。
 十干十二支は廃れたけど十二支だけなら今でもその年の干支として話題になるから、三つの暦と言ってもいいかもしれない。この多元性を内包した文化こそが日本の文化だ。

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