金さんはトランプを甘く見ていたようだね。多分トランプの方は核放棄に応じれば、朝鮮戦争の終結、在韓米軍の撤収から市場開放、高度成長へのロケットスタートまである程度のシナリオを描いていただろうに、残念だ。
日本は戦争に負けたとき平和憲法を受け入れ、防衛を全部アメリカに投げて、経済だけに専念してあの高度成長を成し遂げた。今の北朝鮮に必要なのもそれだと思う。
日本は黒船が来た時も速やかに開国を決断したし、敗戦の時も速やかに連合国の要求を受け入れた。それが今の日本の繁栄を作ってきた。過去に囚われない切り替えの早さが日本の美徳だ。お隣さんにはそれが欠けているように思える。
日本人は過去を忘れたのではない。過去を別の文脈に取り成すのが上手いだけだ。だからほとんど一夜にして急転換しているように見えても、過去を捨ててないからそれほどの混乱はない。
こうした国民性は過去に連歌や俳諧によって鍛えられたからかもしれない。
それでは「此梅に」の巻の続き。挙句まで。
九十五句目。
天狗だふしや人のたふれや
ねのよはき杉の大木大問屋 桃青
天狗倒しのように倒れたのは大問屋だった。巨大な杉の大木も根が弱ければ倒れるように、大問屋も借金経営で自転車操業を繰り返してたのか。
芭蕉はシュールネタも好きだがこういう経済ネタもこの頃から好きだったようだ。経済ネタは晩年の軽みの風にも受け継がれている。
九十六句目。
ねのよはき杉の大木大問屋
跡をひかへて糸荷より来る 信章
ここでは大問屋はまだ倒産してなく、次々と糸荷廻船で輸入の生糸が運ばれてくる。
「糸荷廻船」はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、
「近世,大坂または堺の船で,外国から長崎に輸入された糸荷(生糸)などを上方に運ぶことを幕府から許された特権的な船。」
とある。
九十七句目。
跡をひかへて糸荷より来る
秤にて日本の知恵やかけぬらん 桃青
「日本の知恵で秤にてかけぬらん」の倒置。「秤にかける」は損と徳とを天秤にかけるいう意味がある。次々に輸入生糸が入ってくるのは、それが儲かるからだ。
『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注に、「日本の知恵をはかれとの宣旨」という謡曲『白楽天』の一節を引用している。延宝の頃はまだ都市での共通語が十分確立されてなかったのか、雅語ではない言葉を使用する時には謡曲の言葉を引いてくることが多い。
九十八句目。
秤にて日本の知恵やかけぬらん
霰の玉をつらぬかれけり 信章
『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注に、「蟻通明神の故事による。」とある。
コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「大阪府泉佐野市長滝にある神社。旧郷社。正称は蟻通神社。祭神は大名持命(おおなもちのみこと)。唐の国から日本人の才を試そうと、幾重にも曲がった玉に緒を通すようにとの難題が出された時、老人の指図に従い、蟻に糸を結びつけて通し、解決した。以後、それまであった棄老(きろう)の習慣をやめ、この老人を神としてまつったと「枕草子」にある。」
とある。
『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注に、「『霰の玉』に算盤をふまえる」とあるように、ここでは七曲の玉ではなく、算盤で日本人の知恵を測る。
九十九句目。
霰の玉をつらぬかれけり
花にわりご麓の里は十団子 桃青
「わりご」は「破子」と書く。コトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、
「破籠とも書く。食物を入れて携行する容器。ヒノキの白木の薄板を折り,円形,四角,扇形などにつくり,中に仕切をつけ蓋をする。平安時代におもに公家の携行食器として始まったが,次第に一般的になり,曲物(まげもの)による〈わっぱ〉や〈めんぱ〉などの弁当箱に発展した。」
とある。
「花より団子」というくらいで、花見に弁当は付き物。
「麓の里」は東海道の丸子宿から宇津の谷に入るところの集落で、「十団子(とおだご)」は中世から売られていた名物の団子。ウィキペディアには「江戸時代の紀行文や川柳からは、小さな団子を糸で貫き数珠球のようにしたものと知れる。」とある。
十団子も小粒になりぬ秋の風 許六
の句は、これよりかなり後の元禄五年になる。
挙句。
花にわりご麓の里は十団子
日坂こゆれば峰のさわらび 信章
日坂宿は東海道を下るときは小夜の中山の出口になる。十団子で有名な宇津の谷から岡部、藤枝、島田を経て、大井川を渡り、金谷、菊川ときて小夜の中山になる。
「さわらび」といえば、
石走る垂水のうえのさわらびの
萌え出づる春になりにけるかも
志貴皇子
の歌がある。
ただ、ここでは日坂宿の名物の蕨餅のことか。
ウィキペディアの「わらびもち」の所には、
「東海道の日坂宿(現在の静岡県掛川市日坂)の名物としても知られており、谷宗牧の東国紀行(天文13-14年、1544年-1545年)には、「年たけて又くふへしと思ひきや蕨もちゐも命成けり」と、かつて食べたことのあるわらび餅を年をとってから再度食べたことについての歌が詠まれている。」
とある。
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