2019年2月13日水曜日

 さて、「此梅に」の巻の続き。
 談林の俳諧はスピード重視の所もあり、言葉の縁からの連想で展開してゆくことが多く、内容的にはそれほど急展開せずに緩やかに進んでゆく。ただ、芭蕉らしさを言うなら、そこに人情の機微を言うのではなく、突飛な空想へと流れてゆく傾向が見られることだ。
 それでは初裏に入る。
 九句目。

   つまだてて行あし引の山
 五寸程手の届かざる歌の道      信章

 「あし引き」と言えば枕詞で和歌の道。足を引きずっていれば思うように進めないから、歌の道にあと五寸届かない。
 十句目。

   五寸程手の届かざる歌の道
 ひとかいあまりすみよしの松     桃青

 五寸程手の届かないのを、松の大木を抱きかかえた時に手が届かないこととした。「かい」は「かかえ」のこと。
 これはまあ、歌の道がいかに遠いものであるかを松の大木に喩えたと見ても良いだろう。
 大阪の住吉大社は玉津島明神・柿本人麻呂とともに和歌三神と呼ばれている。住吉の相生の松は古今集の仮名序に、「高砂住の江の松もあひ生ひのやうにおぼえ」とある。
 「良し」は古代には「えし」といった。これにより「すみのえ」は後に「すみよし」に、「ひえ」は後に「ひよし」に変化した。
 十一句目。

   ひとかいあまりすみよしの松
 淡路島仕形ばなしの余所にみて    信章

 「仕形咄」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 ① 手ぶり、身ぶりして語る話。
 ※雲形本狂言・空腕(室町末‐近世初)「いかな仕方咄(シカタバナシ)なればとて、某(それがし)の首を討おとす真似をするといふ事が有物か」
 ② 江戸時代、身ぶりを豊富にとり入れた笑い話。また、所作入りの落語。
 ※雑俳・住吉おどり(1696)「手を出して・しかた咄をせぬあを屋」

とある。
 前句の「ひとかいあまり」を仕方話の所作として、すみよしの松はいいから、それより対岸の淡路島が気になる、とした。
 十二句目。

   淡路島仕形ばなしの余所にみて
 とも呼鳥の笑ひごゑなる       桃青

 「とも呼鳥」は友千鳥のこと。「友千鳥」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「群れ集まっている千鳥。むらちどり。むれちどり。
 源氏(1001‐14頃)須磨「ともちどりもろ声になくあか月はひとりねさめのとこもたのもし」

とある。
 仕形ばなしで一生懸命笑わせようとしても、人は余所目に見て通り過ぎて行くばかりで、笑うのは千鳥ばかりとはいかにも寒い。
 淡路島の千鳥といえば、百人一首でもお馴染みの、

 淡路島かよふ千鳥の鳴く声に
     幾夜寝覚めぬ須磨の関守
               源兼昌

の歌がある。
 十三句目。

   とも呼鳥の笑ひごゑなる
 青鷺の又白さぎの権之丞       信章

 『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の補注に、「江戸時代の鷺流狂言師、鷺権之丞」とある。コトバンクの「世界大百科事典内の鷺権之丞の言及」には、

 「狂言の流派の一つ。江戸時代は観世座付で,幕府などに召し抱えられたが,明治時代に廃絶した。室町初期の路阿弥(ろあみ)を流祖とし,その芸系が兎太夫や日吉満五郎,その甥の宇治源右衛門らを経て,9世鷺三之丞まで伝えられてきたと伝承するが確かでなく,観世座付の狂言方として知られた者たちを家系に加えたにすぎないらしい。日吉満五郎は大蔵流・和泉流でも芸を伝授したとされており,両流と同じ芸系にあることになる。三之丞の甥鷺仁右衛門宗玄(にえもんそうげん)が1614年(慶長19)に徳川家康の命で観世座付となり,流儀として確立した。」

とある。その後も鷺権之丞の名は代々襲名されてゆくことになり、鷺権之丞は何人もいる。
 友千鳥を笑わせているのは鷺の権之丞にちがいないが、青鷺の権之丞なのか白鷺の権之丞なのかよくわからない。
 十四句目。

   青鷺の又白さぎの権之丞
 森の下風木の葉六ぱう        桃青

 「六方」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」には、

 「歌舞伎(かぶき)演出用語。六法とも書く。手足と体を十分に振り、誇張的な動作で歩く演技。勇武と寛闊(かんかつ)な気分を表すもので、荒事(あらごと)演出では重要な技法の一つになっている。語源については諸説あるが、発生的には古来の芸能の歩く芸の伝統を引くもので、祭祀(さいし)に「六方の儀」と称する鎮(しず)めの儀式があったことから、両手を天地と東西南北(前後左右)の六方に動かすことの意にとるのが妥当のようだ。ほかに、江戸初期の侠客(きょうかく)グループ六方組から出たというのは俗説だが、当時の「かぶき者」たちが丹前風呂(たんぜんぶろ)へ通うときの動作を模したものは、丹前六方とよばれ、現在でも『鞘当(さやあて)』などにみられる。荒事系の技法では、手足の極端な動きによって強さを強調しながら花道を引っ込む「飛(とび)六方」が代表的なもので、『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』の和藤内(わとうない)、『車引(くるまびき)』の梅王丸、『勧進(かんじん)帳』の弁慶などが有名。その変形として片手六方、狐(きつね)六方、泳ぎ六方などがある。人形浄瑠璃(じょうるり)や民俗芸能にも「六方」と称する足の動きの技法が伝えられている。」

とある。
 六方は狂言ではなく歌舞伎の所作だが、歌舞伎で演じられる芝居やその台本のことを「歌舞伎狂言」とも言ったから、混同されてたのかもしれない。
 「森の下風木の葉」は『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注に、謡曲・千手の「森の下風木の葉の露」によるとある。
 青鷺か白鷺の権之丞の芝居では風に舞う木の葉も六方を舞う。

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