2019年2月7日木曜日

 今日は夕暮れの空に三日月が見えた。正月も三日。
 それでは『俳諧問答』の続き。

 さて、許六の血脈論の限界は大体見えてきたと思う。
 それは一方で血脈が人間として自然に備わっているものであるとともに、一方では師匠から継承されるものという二重の意味を持っているところにある。
 後者には自分が師匠である芭蕉に選ばれた限られた血脈の継承者であるというエリート意識以外に何もない。
 自分には血脈が備わっているが、他の人はなぜ血脈を失っているか、その答えとして「不易流行に迷い」ということが繰り返し提起されている。
 不易流行がすべての悪の権化であり、不易流行から遁れれば魔法のように名句が次々と生まれるかというと、もちろんそんなことはない。ならば許六自身はどうなのかということになる。
 仮に血脈が奪われることがあるとすれば、それは人間の持つ本来の性をゆがめるような暴力装置が存在する時に限られるだろう。
 いつの時代でもどこの国でも、すべて自由に表現することが許されているわけではない。そこには常に権力によって禁止されている表現が存在し、それを正当化するための様々な理論というかイデオロギーが存在している。そしてこうした理論はしばしば権威と見なされ、表現全体に圧力を掛けている。
 不易流行説にはそんな権威は存在しないし、もちろんそれに従わなかったからといって暴力装置が作動することもない。それは一つの仮説にすぎず、芭蕉が終生行ってきた試行錯誤の一つの過程にすぎない。
 人間の真実は未だ言葉にならず、すべての理論はその近似値を目指して試行錯誤を繰り返しているにすぎない。
 理論はあくまで理論であり、それにあまりに杓子定規に拘泥すれば、確かに創作を不自由な折に閉じ込めることになる。ただ、当時の不易流行説がそれほどの大きな力を持っていたかどうかは疑問だ。

 「横にこけ、竪ニひづミたり共、血脈さへあらバ、是上手の句也。
 近年の句ハ、よし共あしし共、一向にかたづき侍らぬゆへに、秀逸見度とハいふ事也。
 前ニいふ所のあやうき場所をしらず、あくまでいひ損ぜぬ心より出来る句共なれバ、よし共又あしし共かたつかず。
 此論ハ雑俳の事にあらず、芭門骨切の弟子共の上也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.100)

 理屈に囚われていては良い句を作れないというのはもっともな話で、それに異論はない。
 失敗を恐れ、冒険をしないなら、当然ながら進歩もない。
 ただ、ならば後に惟然が超軽みの冒険に打って出た時、許六は何をしていたかということにもなる。

 「一向に初心のともがらにハ、おもひ切ていひ出す所あれバ、天然まぐれあたりにいひ出す事も千に一ツもあり。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.100)

 血脈が誰にでも自然に備わっていて、それを自然に言い出すなら、それは「まぐれ」ではあるまい。「まぐれ」というのは血脈を継承しなくてはいけないものだと思っているからだ。
 実際、素人の句がそんなに面白くないのは、素人ほど常識に囚われて、こうでなくてはいけない、こうでなくてはプロに笑われると思うからだ。それは素人であることの自信のなさだ。

 「血脈正しからざる人達チ人々、不易を心懸ヶ侍るゆへに、あやうき場所の句、闇に夜の明たるごときの句、曽てなし。俳諧根本の滑稽少し。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.100)

 この場合の「不易」も、常識に縛られて無難な句を詠もうとし、冒険を恐れるという意味であろう。
 近代俳句も昭和の頃までは様々な冒険が試みられたが、今はその焼き直しすら見当たらない。五七五で季語が入っていればという所でとりあえず納得しているような句が多い。昔のような無季題や自由率すらも影を潜めている。
 サラリーマン川柳なんかを見ても、日本にあれだけのお笑い芸人がいて、日々様々な刺激的な笑いを供給しているというのに、その影響を何ら受けることなく何であんな退屈な親父ギャクばかりを繰り返しているのかは永遠の謎だ。どこか川柳はこういうものという常識があるのだろう。

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