今まで読んだ俳諧の巻はまだそれほど多くないが、一応貞門時代の「野は雪に」の巻から、最後の「白菊の」の巻まで見てきた。
ただ、その中でもこの「此梅に」の巻は異質な感じがする。
まず、物だけで付けていくせいか、言葉の調子はいいけど、意味がわかりにくい句が多い。
おそらく大矢数とまではいかないものの、蕉門のどの俳諧にもないほど早いペースで詠まれたからだと思う。
『江戸両吟集』のこの巻と「梅の風」の二つの巻はおそらく同じ日に立て続けに詠まれたのではないかと思う。それとひょっとしたら天満宮でのライブだったのかもしれない。
芭蕉(当時の桃青)は宗因流に心酔し、宗因のように詠みたいという思いがそれだけ強かったのだろう。
ただ、速吟だけにかえって発想の違いがはっきり出てしまう。芭蕉もじっくりと吟ずれば、人間の深い情を詠むこともできたのだろうけど、咄嗟に出てくるのはむしろシュールなまでの奇抜な言葉の連想だった。
この実験的な速吟を終えて、芭蕉は宗因と自分との才能の違いに気付いたのかもしれない。これ以降『俳諧次韻』まで、談林の主流が人情句に走りがちだったのに対し、乾いたシュールギャグをより先鋭的に展開してゆくことになる。
宗因のようにと思って巻いた二百句だったが、詠み終えてみると宗因はどこへいっちゃったのか。この間亡くなった橋本治氏の言葉を借りるなら、芭蕉も「水分に乏しかった」のかもしれない。
八十三句目。
落させられし宮のうち疵
階の九つ目より八目より 桃青
前句の「宮」を宮様として「落させられし‥うち疵」を階段から突き落とされたとした。何があったのかわからないが、深く考えないで、ただ転げた姿を笑えばいいのだろう。
八十四句目。
階の九つ目より八目より
湯立の釜に置合あり 信章
「湯立(ゆだて)」はコトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、
「熱湯によって神意を占ったり,清めをしたりする神事。〈ゆたち〉とも。神社などの庭で大釜に湯をわかし,巫女(みこ)や禰宜(ねぎ)がササの葉で湯をまきちらし,自身や参詣者の頭上にふりかける。この場合,巫女や禰宜が神がかりになり,託宣をすることもある。湯立神事に伴う神楽(かぐら)を湯立神楽という。」
とある。
「置合(おきあはせ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 適当にとりあわせること。また、その対象。配合。とりあわせ。
※仮名草子・東海道名所記(1659‐61頃)六「置物には業平のかかれし御成敗式目、中将姫の庭訓往来など也。置合せには、馬の角、牛の玉、いし亀の毛にて結(ゆひ)たる筆」
② 客などと同席して相手をしたり食事を相伴したりすること。〔日葡辞書(1603‐04)〕」
とある。
湯立の釜の取り合わせといったら神楽だろうか。拝殿の階段の九つ目か八つ目のところから神楽を舞う人が現れるということか、よくわからない。
八十五句目。
湯立の釜に置合あり
既に神にじりあがらせ給ひけり 桃青
湯立ての釜を茶の湯を沸かす釜として、神様をにじり口から中に招き入れた。
八十六句目。
既に神にじりあがらせ給ひけり
白髭殿は御年よられて 信章
「白髭殿」は白髭神社の際神、比良神(白鬚明神)か。名前からして白髭の老人を思わせる。白髭神社は後に猿田彦命を際神とするようになり、今日に至っている。
八十七句目。
白髭殿は御年よられて
つくづくと向にたてる鏡山 桃青
白髭神社は琵琶湖西岸の近江高島にある。鏡山はそこから琵琶湖を隔てた南側の近江八幡の方にある。古今集に、
鏡山いざ立ち寄りて見てゆかん
年経ぬる身は老いやしぬると
大伴黒主
の歌があり、それを踏まえて、老いた白髭明神も鏡山を見ているとする。
八十八句目。
つくづくと向にたてる鏡山
わけ入部屋は小野の細みち 信章
『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の補注に、中世の御伽草子『小町草子』の一節、
「折ふし小野の細道かき分て草のとぼそをうちならし、いにしへの小野小町はこれにわたらせ給ふかと」
を引用している。
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