2019年2月4日月曜日

 今日は立春でその名のとおり暖かかった。明日からまた寒くなるというが、三寒四温の時期に入ったようだ。
 明日は旧正月で、一日だけだが年内立春ということになる。去年と今年が同時に存在する場所、古(いにしえ)と今が同居する場所、それが古今和歌集のコンセプトだったし、この鈴呂屋俳話も古と今の出会う場所であれたらいいなと思う。
 それでは『俳諧問答』の続き。

 「万葉の風、後ニ用ひずといへ共、血脈ハ万葉より継たる故に、古今集といふ物ハ出生したり。
 風ハ枝葉也。是古今の変有てかハる事慥也。
 段々血脈の動ぜざる所を相続したるに寄て、今日の翁の血脈を継で、各や我々にハ教へ給へり。
 風ハ此已後いくばくの変もあらん。予が論ハ全ク血脈の所を申也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.98)

 万葉の風は、この半世紀ぐらい後になると国学が起こり、復古万葉調が生じてくる。この流れは近代にも受け継がれてゆく。ただ、古今集の時代から芭蕉の時代に至るまで用いられなかった。
 古今集は万葉集と風は異なるが、風は「枝葉」であり、血脈は継承されている。万葉調、古今調は「風」であるが故に、不易流行説からすれば、血脈を不易、それぞれの風を流行と見る事もできよう。
 そこから芭蕉に至るまで、王朝の和歌から連歌へ、連歌から俳諧への流れもまた、風や形式は変わっても血脈は継承されている。それは伝統であるとともに、人間の普遍的な根本から生じる歌であれば、血脈は自ずと継承される。
 それは今日のジャパンクールに至るまで、血脈は途絶えていない。ただ、西洋的な理性から発せられる近代俳句は、果してこの血脈の上にあるのかどうかという問題はある。人間の根源的な欲望、感情、衝動などの混沌としたところから発せられるのではなく、むしろそれらをコントロールする所の理性から発せられる文学は、むしろそれを抑制ところに成り立っている側面がある。それが今日の世界的に広まる大衆文化と純粋芸術の境目になっている。
 西洋流の批評家は大衆文学を純粋芸術に高めたいようだが、そこで批評がが評価したものは必ずしも大衆的に浸透せず、大衆に大人気なものに批評家がそっぽを向くという現象が起こる。西洋流の芸術は血脈によるのではなく、血脈をコントロールする理性に発する。

 「近年血脈相続の句見えず。故ニ秀逸なしといへる也。
 先生の論ハ、一代の秀逸の事をいへり。和歌など猶以、一代の秀逸多クハなしときき侍る。
 しかれ共一代の秀逸といふにも其人によるべし。
 たとへバ予が為に秀逸ニあらずとて捨たる句、又予より遥におとりたる人の句にゆづれバ、其人の為にハ一代の秀逸ニ成るに似たり。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.99)

 人間が作る句であれば、基本的には血脈を備えているわけだが、それでも血脈相続がないというのはどういうことか。それは西洋の芸術が血脈より出るのではなく、それをコントロールする理性の伝統に立脚するように、芸術はその時代、その民族の文化によって様々な社会的制約を受ける。
 いわば、純粋に人々の感動に訴えるものではなく、理論や道徳や権力によってある種のものは禁止されたり、不当に価値を貶められたりする。
 この価値体系によって、同じ血脈から生まれているにもかかわらず、国や時代によって独特な「風」が生じているのではないかと思う。芸術に対して権力側の価値観が強く反映されればされるほど、血脈は失われる。自由な創作が続けられる時は作品は本来の血脈に戻る。
 「近年血脈相続の句見えず」というのであれば、俳諧が庶民の自由な判断でその価値が評価されず、選者の権威がものをいう状態になっているということが考えられる。ある意味蕉門があまりに巨大になりすぎたため、選者が権威になってしまい、庶民の嗜好が反映されにくくなったのかもしれない。
 「先生の論ハ、一代の秀逸の事をいへり」というのは、基本的に芭蕉が説いたのは自分の生きている時代の俳諧のことで、季吟のような古典の研究者ではなかったということだ。
 「和歌など猶以、一代の秀逸多クハなしときき侍る」というのは、一つには古今の時代といい新古今の時代といい、現存する作品が絶対的に少ないということもある。
 「秀逸といふにも其人によるべし」というのは、同じ血脈とはいえ人間の遺伝子は多様であり、さらには生まれや育ち、職業立場の違いなど社会的な多様性も加わり、脳の回路の形成や眼や耳の見え方聞こえ方の違いなど様々な要因で、同じ芸術作品でも人それぞれみんな感じ方が違う。誰でも自分にとっての秀逸があり、他人の秀逸も必ずしも自分にとって価値を持つとは限らない。趣味の多様性は江戸時代の大衆の間にすでに形成されていた。
 芭蕉が当時の俳諧の頂点に立ったとはいえ、貞門ファンも大阪談林のファンも根強く存在していた。また俳諧より歌舞伎や浄瑠璃だという人たちもいた。

0 件のコメント:

コメントを投稿