トランスジェンダーの性別のことが世間ではいろいろ問題になっているようだが、これは持論だが、女として生まれて男になる場合は性転換手術も必要とせず自己申告で自由に認めてもいいが、男として生まれたものが女になる場合は最低限でも男性としての機能を失っていることを前提とすべきだと思う。これは差別ではなく男女の非対称性によるものだ。
女はまず妊娠し出産することが可能だという点で男と決定的に異なる。女性がレイプされれば妊娠や出産の負担が生じ、医療水準の低かった時代では出産はしばしば死に結びついた。
また長い進化の中で男はばら撒く性、女は選ぶ性へと特化している。もちろん個人差はあるが、一般的に男は手当たり次第にいろんな女に手を出したがり、女は言い寄る男達を厳しく選別する傾向にある。そのため、レイプという性的選択権の剥奪は女性には致命的だが男性はそれほどダメージを受けない。いわゆる逆レイプで男が蒙る不利益は、もっぱら浮気を疑われることだ。
トランスジェンダーでもこの非対称性が問題なのは、人間は環境によって変わることがあるからだ。ノンケの男でも軍隊や刑務所のような男ばかりの所にいると一時的にホモになることがあるように、心は女とは言っても女性刑務所のような女ばかりの所にいれば女に手を出さないとも限らない。そのとき男性としての機能が残っていたらどうなるかということだ。
女性の側に立っても、ち○ぼをぶらぶらさせた自称女性が女風呂に入ってきたら、やはり恐怖を感じるだろう。
まあ、それはともかくとして「此梅に」の巻の続き。
七十一句目。
松ふく風や風呂屋ものなる
君ここにもみの二布の下紅葉 信章
「二布(ふたの)」はコトバンクの「世界大百科事典内の二布の言及」に、
「江戸時代の女性が混浴時に用いた膝上の長さの木綿製の湯巻は,横布二幅使いのため二布(ふたの)とも呼ばれ,女房言葉で湯文字(ゆもじ)ともいった。庶民の間では肌着と湯巻の厳密な区別はなかったと考えられる。」
とある。特に若い女性は赤い二布を身につけていた。
『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注には、「風にちらつくもみの二布を下紅葉といった。」とある。後の、
時雨るるや紅粉の小袖を吹かへし 去来
の句を思わせる。
松と下紅葉の付け合いは、『拾遺和歌集』に、
下紅葉するをば知らで松の木の
上の緑を頼みけるかな
よみ人しらず
の歌によるものか。
七十二句目。
君ここにもみの二布の下紅葉
契りし秋は産妻なりけり 桃青
「産妻(うぶめ)」は「産女」とも書く。ウィキペディアには、
「産女、姑獲鳥(うぶめ)は日本の妊婦の妖怪である。憂婦女鳥とも表記する。
死んだ妊婦をそのまま埋葬すると、「産女」になるという概念は古くから存在し、多くの地方で子供が産まれないまま妊婦が産褥で死亡した際は、腹を裂いて胎児を取り出し、母親に抱かせたり負わせたりして葬るべきと伝えられている。胎児を取り出せない場合には、人形を添えて棺に入れる地方もある。」
とある。「もみの二布」はこの場合は血染めの腰巻か。
七十三句目。
契りし秋は産妻なりけり
月すごく草履のはなを中絶て 信章
「すごし」は冷ややかな、恐ろしげなという意味。本来はネガティブな言葉だが、それを逆に良い意味に転換する例は、古代の「いみじ」、現代の「やばい」などしばしばある。
「月の神秘 暦の秘密」というサイトに、
「昔、亡くなった人を埋葬する時、墓地の土を踏んだ草履には死霊がつくと考えられ、その場で草履を脱ぎ捨てる習慣がありました。その時、死霊が草履を履いて追ってくるのを恐れ、履けないように鼻緒を切って捨てたのです。」
とあり、他のブログでも似たような話があったので、昔からそういう習慣があったのかもしれない。
本来なら目出度いはずの名月も、母子共に亡くなり、それを埋葬した後の月であれば寒々として恐ろしげだ。今にも土の中から産女が出てきて追いかけてきそうだ。
七十四句目。
月すごく草履のはなを中絶て
河内の国へかよふ飛石 桃青
「河内の国へかよふ」は『伊勢物語』第二十三段の「河内の国、高安の郡に、いきかよふ所出できにけり」を連想させる。
「筒井つの」の歌で誓った幼馴染の相手がいるのに、あえて河内の国まで通う男は、ドラクエ5的にはビアンカからフローラに乗り換えようかという所か。
この句は一見そんな物語とあまり関係なさそうに、飛び石を飛んだ拍子に鼻緒が切れたとする。鼻緒が切れるのが縁起悪いのは、先に述べた墓地から帰るときに鼻緒を切るのと関係があるのだろう。鼻緒が切れて、結局河内の国の女はあきらめるという所につながる。この男はビアンカ派だったようだ。
七十五句目。
河内の国へかよふ飛石
四畳半くづやの里も浦ちかく 信章
「葛屋(くずや)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 茅葺や藁葺の屋根。草葺の屋根。また、その家。茅屋や藁屋。くずやぶき。
※為尹千首(1415)春「絶てすむ心よいかにかやが軒かかる葛屋のよはの春さめ」
とある。
「飛石」は茶室の入口にも用いられる。「四畳半くづや」は藁葺き屋根の質素な茶室を思わせる。「浦ちかく」というのは堺のことか。大坂夏の陣で焼けた堺は復興の途中だった。
七十六句目。
四畳半くづやの里も浦ちかく
浪に芦垣つかまつつたり 桃青
海辺の四畳半茅葺屋根の粗末な家に住む隠遁者を哀れんでか、波除に芦の垣根をしてあげた。
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