ここの所曇りがちだったが、今日は半月が見えた。相変わらず寒い日が続く。
三寒四温というのは本来中国東北部で冬の気候を表わすのに使われていたらしい。日本ではどこか「三百六十五歩のマーチ」(星野哲郎作詞)の「三歩進んで二歩下がる」のような乗りで使われている。
暖かい日寒い日を繰り返しながらも少しづつ春は来ている。三日寒い日があっても四日暖かい日が来るというよりはむしろ、三度下がって四度上がるの方が日本の春の気候に近いかもしれない。
それでは「此梅に」の巻の続き。
十五句目。
森の下風木の葉六ぱう
真葛原ふまれてはふて逃にけり 信章
『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注に、「木葉武者などのごとく臆病な六方者(侠客)としてつけた」とある。
「木葉武者」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 取るに足りない武士。雑兵(ぞうひょう)。すぐに追い散らされてしまうような端武者(はむしゃ)。弱兵。こっぱむしゃ。
※俳諧・詞林金玉集(1679)一四「木葉武者の鎧とをしか霜の剣〈勝重〉」
とある。
「六方者」もコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、
「万治(まんじ)・寛文(かんぶん)年間(1658~73)を中心に江戸市中を横行した男伊達(だて)。六法者とも書く。大撫付髪(おおなでつけがみ)、惣髪(そうはつ)、茶筅髪(ちゃせんがみ)に、ビロード襟の着物などを着て、丈も膝(ひざ)のところぐらいまでにし、褄(つま)を跳ね返らせ、無反(むそり)の長刀を閂(かんぬき)に差し、大手を振って歩いた。このかっこうから六方者という名称がおこったといわれる。御法(ごほう)(五法)を破る無法者(六法者)の意味ともいう。また旗本奴の六法組の者とも、旗本奴の六団体の総称ともいうが、いずれも明確ではない。ことばもなまぬるいことを嫌って六方詞(ことば)という特殊語を使い、博奕(ばくち)、喧嘩(けんか)、辻斬(つじぎ)りなど傍若無人にふるまった。[稲垣史生]」とある。歌舞伎の六方がここから来たというのは俗説だと、前に引用した
「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」にはあった。
まあ、いつの世にもこういうチンピラはいたのだろう。ただ、今の日本はヤクザの衰退からか、ヤンキーはいてもこういうその筋の者はあまり見なくなった。むしろ普通の格好している危ない奴(DQN)が増えているように思える。
江戸も寛文年間にはこういう連中が闊歩していたが、延宝から元禄に掛けて世の中が安定してくるといつの間にいなくなっていったか。
元禄五年の「洗足に」の巻の頃にはせいぜい単羽織を着て粋がってる連中がいて、
今はやる単羽織を着つれ立チ
奉行の鑓に誰もかくるる 芭蕉
というところだったか。
逃げる六方を「木葉武者」だから「真葛原ふまれて」と古典の言葉を換骨奪胎して表現するのが延宝の談林調だ。「軽み」のストレートな表現に至るには十五年かかった。
十六句目。
真葛原ふまれてはふて逃にけり
むし鳴までにむごうなびかぬ 桃青
「なびかぬ」で恋に転じる。踏まれて這って逃げたのは夜這いの男か。
『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注に、「虫の音をあげる程まで、むごう踏まれても靡かぬの意」とある。これは弱音を吐くという意味の「音をあげる」に掛けて言っているのか。
十七句目。
むし鳴までにむごうなびかぬ
恋の秋爰にたとへの有ぞとよ 信章
今でも春に出会って夏に燃えて秋に別れて冬は独りぼっちとと、恋は四季に喩えられる。
ただ、この時代にそういう慣用的な比喩があったかどうかはわからない。単に秋の恋は喩えて言えばつれない人に虫の音をあげるようなもの、ということか。
十八句目。
恋の秋爰にたとへの有ぞとよ
吉祥天女もこれほどの月 桃青
吉祥天女は昔はふくよかな姿で描かれていた。いわゆる平安美人だ。月に喩えればやはり満月か。
十九句目。
吉祥天女もこれほどの月
あつらへの瓔珞かかる山かづら 信章
瓔珞(ようらく)はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、
「サンスクリット語のムクターハーラ muktāhāraまたはケーユーラ keyūraの訳語。インドで身分の高い男女が珠玉や貴金属を編んで,首,胸,腕などにつけた装身具。仏教では寺院内外の飾りや仏像の首,胸,衣服の飾りに用いる。」
とある。
「山かづら」はweblio辞書の「隠語大辞典」に、
「暁方、山の端にかかる白雲をいふ。其角、明星や桜さだめぬ山かづら。」
とある。其角の句は山の端ににかかる白雲と桜の区別がつかないという古典的な花の雲の句だ。貞享五年の蕉風確立期の復古調の句。
月を吉祥天女に喩えるなら、瓔珞は山の端の白雲というわけだ。
二十句目。
あつらへの瓔珞かかる山かづら
松のあらしの響く耳たぶ 桃青
「山かづら」は山蔓という植物の意味もある。ヒカゲノカズラのことだという。シダ同様装飾に用いられる。古今集の「神遊びのうた」には、
まきもくのあなしの山の山人と
ひともみるがに山かずらせよ
の歌もある。
瓔珞に喩えられても「山かづら」はゴージャスな煌びやかさには程遠い。神事の装飾であれば、松の嵐の蕭々とした悲しげな風が耳たぶを撫でる。瓔珞だけに耳たぶに。
二十一句目。
松のあらしの響く耳たぶ
大黒の袋は花にほころびて 信章
大黒様の耳は言うまでもなく福耳。
花がほころんだので大黒様の七宝の入った袋も開く。ありがたいことだ。前句の「松のあらし」の情を捨てて目出度く付けている。六句目同様、この頃はこういう詠み方で良かったのであろう。
二十二句目。
大黒の袋は花にほころびて
霞にもろき天竺のきぬ 桃青
大黒天は本来ヒンドゥー教のシヴァ神だった。日本に来て大国主命と習合し、大分姿は変わってしまったが。
前句の袋のほころびを文字通り布のほころびとし、インドの絹は霞に弱いとした。
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