2019年2月10日日曜日

 昨日の雪はたいしたことなかった。今年はやはり暖かいのか。
 さて、『俳諧問答』の方は一休みして、また俳諧を読んでいこうかと思う。
 旧暦の方でも春が来たので、延宝四年の桃青(芭蕉)・信章(素堂)の両吟百韻「此梅に」の巻を読んでみようかと思う。
 延宝三年の秋に江戸にやってきた宗因と一座したこの二人は、すっかり宗因流の談林俳諧に感化され、この百韻を巻くことに至った。そのときの空気を何とか読み取ってみたいと思う。
 信章はコトバンクの「世界大百科事典内の山口信章の言及」に、

 「江戸前期の俳人。姓は山口,名は信章。甲斐国北巨摩郡教来石字山口の郷士の家に生まれた。少年時代父に従って甲府に移り,さらに20歳のころ江戸に出て林家について漢学を修めた。その後しばらく京へも遊学したらしい。俳諧は季吟門と伝えたが,最初の入集は加友撰《伊勢踊》(1668)で,〈江戸山口氏信章〉として5句。1675年(延宝3)5月,江戸下向中の宗因を歓迎する俳席に桃青(芭蕉)とともに出座,以後,翌年には両人で《江戸両吟集》を発行するなど親交を深め,芭蕉らの新風を支持した。」

とある。
 「此梅に」の巻もこの『江戸両吟集』に収録され、この年の三月に刊行されている。
 信章は寛永十九(一六四二)年の生まれで、寛永二十一年生まれの芭蕉より歳が二つ上になる。
 コトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」には、「延宝7 (1679) 年 38歳で致仕,上野不忍池のほとりに隠棲」とある。芭蕉の深川隠棲の一年前のことだ。
 天和期には素堂の俳号を名乗り、元禄二年刊の『阿羅野』で、

 目には青葉山ほととぎす初鰹     素堂

の句を発表し、今日でも日本中誰もが知る句の作者となった。
 芭蕉と素堂との交流は終生続き、元禄五年の夏には俳諧と漢詩による両吟「破風口に」の巻を巻いているのは、以前にもこの鈴呂屋俳話で紹介した。
 この百韻には「奉納貳百韻」とあり、『江戸両吟集』に収録されている

もう一つの、

 梅の風俳諧國にさかむなり      信章

 を発句とする百韻とともに、梅に縁のある天神様に奉納したものとされている。
 天神様というと江戸の三大天神というのがある。湯島天満宮、亀戸天神社、谷保天満宮のことだが、どこに奉納されたのかはわからない。谷保は遠すぎるので、湯島か亀戸のどちらかであろう。
 中世の連歌は寺社で興行されることが多かった。この時代の連歌は密室で行われるのではなく、寺社への奉納という形で公開で行われていたのだろう。そして出来上がった連歌はしばらく寺社に掲示されたりして、一般庶民の多くもその作品を鑑賞し、それが身分を越えた連歌の大流行を生み出し、庶民の識字率を高めるのにも貢献したと思われる。
 江戸時代初期の俳諧興行も、多分のその名残を留めていたと思われる。たとえば西鶴の矢数俳諧は、本当に即興で一日何千もの句を詠んだことを証明するには、衆人の見ることろで行われる必要があっただろう。
 宗因が江戸に来て、桃青・信章が参加した延宝三年の興行も本所の大徳院で行われている。
 それを考えると、この両吟もどちらかの天満宮で興行された可能性は大きい。当時の句のスピードを考えるなら、一日で百韻二巻も十分ありえたであろう。
 正月の梅の咲く季節に、この興行は桃青の発句でもって始まる。

 此梅に牛も初音と鳴つべし      桃青

 天満宮といえば梅は付き物だが、牛も神使とされている。ウィキペディアには、

 「菅原道真と牛との関係は深く「道真の出生年は丑年である」「大宰府への左遷時、牛が道真を泣いて見送った」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「道真には牛がよくなつき、道真もまた牛を愛育した」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など牛にまつわる伝承や縁起が数多く存在する。これにより牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされ臥牛の像が決まって置かれている。」

とある。ただ、撫で牛はこの時代にあったかどうか定かでない。
 宗因は梅翁とも呼ばれていて、去年江戸にやってきた梅翁に負けずに、自分たちもここで初音と洒落てみようか、という句だ。「牛」は神使でもあるが、鈍重なというイメージもあり、ここに「遅ればせながら」という意味を込めたと思われる。
 これに信章が脇を付ける。

   此梅に牛も初音と鳴つべし
 ましてや蛙人間の作         信章

 『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の補注に、謡曲『白楽天』の「されども歌を詠むことは人間のみに限るべからず。‥‥‥花に鳴く鶯水に住める蛙まで、唐土はしらず日本には歌よみ候ぞ」が引用されている。「花に鳴く鶯水に住める蛙」は古今集の仮名序による。
 蛙はそこから歌詠みの象徴でもあり、俳諧師もまたそれを引き継いでいる。
 牛も初音と鳴くのだから、まして俳諧師もここで句を詠まなくては無風流の極みだというところだ。

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