2019年3月23日土曜日

 沖縄のジュゴンの死を受けて、今回は俳話ではなくちょっと雑談を。
 いろいろ政治的なプロパガンダが絡んでしまって、沖縄のジュゴンの問題はどうもわけのわからないことになってしまっている。
 かつて沖縄周辺では多くのジュゴンが生息していたといわれているが、明治に入ると乱獲され、特にダイナマイト漁などによって数は激減した。
 また、ジュゴンの餌場である藻場も減少し、近年では目撃例も僅かとなった。
 2007年にはA、B、Cの三頭のみになり、2015年6月24日を最後にCは姿を見せなくなった。B、Cは今帰仁村(なきじんそん)の付近で多く目撃され、Aは嘉陽のあたりにいたが、長く目撃されていない。
 今回、三月十八日午後五時頃、今帰仁村の運天漁港沖で死んだ状態で漂着したのはBではないかと言われている。場所は辺野古の反対側の東シナ海に面した方で、Bが辺野古のある太平洋側で目撃されたことはない。
 2002年から2004年の調査では、東海岸中部(名護市嘉陽、安部、辺野古、東海岸南部(南城市知念志喜屋)、西海岸北部(名護市屋我地島、今帰仁村古宇利島)の6海域で藻場での食跡が確認されていたので、当時は辺野古にもまだジュゴンが来ていたと思われるが、辺野古基地の建設が始まったのが2014年、護岸整備に手を付けたのが2017年なのでそれより遥かに前の痕跡にすぎない。
 基地建設のはるか前から沖縄沿岸のジュゴンは散発的にやって来る個体のみで、繁殖に必要なだけの集団を構成している風ではなかった。おそらくは群れからはぐれた放浪個体だったのではないかと思う。
 辺野古基地の西側には確かにまとまった藻場が存在していて、基地の埋め立て工事はその一部に掛かっている。藻場は遠浅の海岸に多いため、埋め立てのしやすい所は藻場である場合が多い。
 那覇空港の第二滑走路の建設地にも藻場があるが、ここは残念ながら全滅することになる。今後も何らかの埋め立て計画が持ち上がるたびに、藻場の消滅が問題になると思う。
 繁殖可能なだけの十分な個体数を回復させようと思うなら、今ある藻場を守るだけでは無理で、人工的に藻場を造成するといった発想が必要なのではないかと思う。ジュゴンの大きな体を維持するには、それだけの多くの藻を必要とする。
 あるいは完成した辺野古基地の周辺をそうした実証実験の場にするというのも一つの手かもしれない。
 基地の建設をやめたからといってジュゴンが帰ってくるわけではない。ジュゴンはそれ以前からほとんど姿を見せていなかった。日本の左翼、つまり共産勢力は今回のジュゴンの死を反米闘争に結び付けようと躍起になっているし、海外のやはり左翼系の団体がそれに同調しているが、それは必ずしもジュゴンにとって良いことではない。本当に真面目にジュゴンを守ろうとしている人間は、むしろ迷惑しているといってもいい。
 ジュゴンの命に共感する「細み」の心を取り戻してほしいものだ。

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