今日も月が出ていた。ほぼ満月で朧というほど霞んではいなかったが、澄んでいるとも言いがたい微妙な春の月だ。
それでは「鰒の非」の巻の続き。
二十一句目。
地取の株に見ゆる名苗字
爰まではとどかぬ鹿の音をしたひ 凉葉
立派な武家の人の新築物件は、居住する屋敷では聞けない鹿の音を聞くための別邸だとした。
二十二句目。
爰まではとどかぬ鹿の音をしたひ
寺のひかへは四五反の秋 千川
「一泊り」の巻の二十七句目に、
薬手づから人にほどこす
田を買ふて侘しうもなき桑門(よすてびと) 芭蕉
の句があったが、お寺はそれなりの寺領を持ち、経済的に自立していた。
ここでは四五反だから普通の自作農の百姓と同じレベルで、それほど豊かではないが、まあまあ人並みの生活が出来るといったところか。
鹿の音の風流も経済的基礎があってのこと。芭蕉血脈の句といえよう。
二十三句目。
寺のひかへは四五反の秋
夕月に植木つり出す塀の破 左柳
左柳も大垣藩士。芭蕉が元禄二年の『奥の細道』の旅で大垣まで戻ってきた時に、芭蕉を出迎えた連衆の一人。この頃は千川の父の荊口が連衆に加わり、千川はまだ登場しない。僅か四年で世代交代している。
此筋はこの時の「はやう咲(さけ)」の巻に、左柳、荊口とともに参加している。
大垣の重鎮?として月の定座を任されたようだが、月を見るために植木を撤去するのだったら、ちょっとわざとらしい。
二十四句目。
夕月に植木つり出す塀の破
見よ水籠をかけられし軒 凉葉
普通は籠では水は汲めない。これは前句に対し意味のないことをすると咎めた句か。
二十五句目。
見よ水籠をかけられし軒
先はなは土俵靱の一縄手 芭蕉
「土俵靱(どひょううつぼ)」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「《形が土俵に似ているところから》空穂の一種。竹または葛藤(つづらふじ)で編み大形に作ったもので、多くの矢が入る。」
とある。「大辞林 第三版の解説」には「腰につけず、人に持たせる。」とある。
靱(うつぼ)は矢を持ち歩くための容器だが、その大型の物を言うようだ。相撲の土俵ではなく俵に似ている。
「縄手」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「1 田の間の道。あぜ道。なわて道。
2 まっすぐな長い道。
3 縄の筋。なわ。
「いかりおろす舟の―は細くとも命の限り絶えじとぞ思ふ」〈続後拾遺・恋三〉」
とある。ここでは3の意味か。
水籠に見えたのは土俵靱に縄をつけたものだった。
二十六句目。
先はなは土俵靱の一縄手
着て居るうちに帷子の干ル 此筋
前句を土俵靱を運ぶ武士の畦道を行く姿としたか。
夏の日を遮るもののない畦道は暑くて汗をかくが、日の光ですぐにそれ乾く。
二十七句目。
着て居るうちに帷子の干ル
うつぶきて糸さす筬に暮かかり 千川
「筬(をさ)」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、
「織機の部品の一つ。経 (たて) 糸の位置を整え,打込んだ緯 (よこ) 糸を押して,さらに密に定位置に打働きをするもの。竹片または鋼片を平行に並べ枠にセットしたもので,普通,竹片を用いた竹筬は手織機用,鋼片を用いた金筬は手織機,力織機の双方に使用する。」
とある。
許六の『俳諧問答』の例句に「火鉢の焼火(をさ)に並ぶ壺煎」とあったときにも調べたが、長い梯子状のもの。機織の筬はここに糸を通す。
筬に糸を通す作業をしているといつの間にか日も暮れて、昼間の汗も乾いている。
二十八句目。
うつぶきて糸さす筬に暮かかり
あはれげもなき講の題目 左柳
「題目講」はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、
「日蓮系の法華仏教信奉者が営む講。〈南無妙法蓮華経〉と法華経の題目を唱えることを営為の中心とするので題目講とよばれる。その多くは日蓮(1282年10月13日没)の忌日である13日やその逮夜に当たる12日に営まれ,13日講ともいった。早くは鎌倉時代末期にみられ,日蓮鑽仰とともに一家一族連帯の促進を目的として,血縁関係が講構成員の紐帯であった。しかし中世においても,しだいに同一地域居住という地縁を紐帯とする講が営まれるようになった。」
とある。
夕方になると日蓮宗の題目講の「南無妙法蓮華経」のお題目を唱える声が聞こえてくる。それは賑やかなもので哀れな感じはしない。
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