『俳諧問答』の続き。
「一、上巻ニ、
夏草に肥たり鹿のむしり喰ひ 惟然
「肥たり」と切て、又「鹿のむしり喰ひ」、かやうのてにハるづきあるべしともおもえず。
句の心かくれたる所なければ、其分にききなして、人々をくと見えたり。眼あるもの一度にらむ時ハ、一字もゆるさず。
六百番の歌合等の詞を見るに、つづき・いひくだし、大事ニ論じ給ふ事、翁の俳諧専ラ俊成卿の論にかハる事なし。
又定家の卿ののたまひける、歌ハつづけがらにてよくもあしくもなる、柿の本のつつミといへるとのたまひけるたぐひ也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.117~118)
句意は明瞭で、鹿が夏草をむしり喰いするので太ったということだ。それをおそらく、「夏草に肥えたり」で始めることで、聞く人が「何で?」と思ったところで「鹿のむしり喰ひ」で落ちにしている。「鹿のむしり喰いて夏草に肥えたり」の倒置。
まあ、意味が通るからと、人々のこれでいいと思いがちだが、許六さんは眼のある人だから、「一度にらむ時ハ、一字もゆるさず。」となる。別にいいじゃないかと思うが、こういううるさい人がいるからこそ、当時の文法についての手懸りを今日に残してくれているといってもいい。
何が悪いのかというと、倒置にする時に「むしり喰いて」の「て」が抜け落ちて「鹿のむしり喰い夏草に肥えたり」の倒置になってしまったということだろう。「て」があれば原因結果の関係が明瞭になる。「て」が抜ければ、「鹿のむしり喰い、夏草に肥えたり」と二つの文章に割れてしまう。それが続きの悪さの原因ではないかと思う。
たいたい鹿というのは一年中むしり喰いするもので、夏は草が豊富だから肥えるというだけのことだ。
多分「むしり喰い」という言葉が俳言として面白いので、使ってみたかったのだろう。だがここでは、倒置にして落ちをつけるという続き方の方に目が行き、「むしり喰い」という言葉自体が生かされてないように思える。
むしり喰い鹿は肥えたり夏の草
の方がまだ良かったのではないかと思う。
「一、いせ萩や鵜の涼む夜の風の音 彦根 馬仏が句
是荻を萩とよみあやまり、進むを涼むとよみ違ひたると見えたり。
すすむの字ニハ、進の字をはたに付て遣したる也。かやうの見あやまりハさもあるべし。
しかし伊勢萩にてハ、一句きこえがたし。何とききなして、撰集へハ入給ふぞ、いぶかし。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.118)
この句は正しくは、
いせ荻や鵜の進む夜の風の音
だという。彦根の作者だから、作者自身が本当はこうだったと許六に語ったのか。
いせ荻は『菟玖波集』の、
草の名も所によりてかはるなり
難波の葦は伊勢の浜荻 救済
から来たもので、芦の別名。ただ、芦だけだと季語にならない。この句の場合は「荻」の字があるから秋になるのであろう。そうなると「涼む」という夏の季語が邪魔になる。
句意としても「萩の下露荻の上風」と言われるように、荻吹く風の悲しげな中に鵜の泳ぐ様を詠んだのであろう。「鵜の進む夜のいせ萩の風の音や」を「いせ萩の鵜の進む夜の風の音や」と倒置にして、さらに「や」を倒置して前に持ってきてできた句だ。
これを、
いせ萩や鵜の涼む夜の風の音
にしてしまうと、確かに意味がよくわからない。撰者があえてこの句を採ったのか、それとも出版する段階で清書した人が聞き違えたか、多分後者であろう。
「『いせの浜荻』といふ事を五文字ニいはば、『いせ荻』とハいはれべきものと、作者の発明也。證歌あるニ非ズ。本歌あらバおかしからず。
『いせ荻』と、てにはをぬきていふもあるべし。『いせ浜の荻』とハいひがたからんか。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.118~119)
「伊勢の浜荻」という言葉は古くからあるし、歌にも詠まれた雅語で、
あたら夜を伊勢の浜荻をりしきて
妹恋しらに見つる月かな
藤原基俊(千載集)
の例がある。ただ、「伊勢荻」という雅語があったことを証明する證歌はない。作者である馬仏の造語だという。この種の俳言は俳諧の常で厭うものではない。ただ「伊勢浜の荻」だと単に伊勢の浜に生えている荻になってしまうので微妙な所だ。「伊勢荻」だとそういう特別な種類の荻(通常の荻とは別物)があるという連想が働く。
0 件のコメント:
コメントを投稿