昨日の朝にはapple musicからも電気グルーブは消えていた。意味のない行きすぎた自粛を止めることはできないのか。
change.orgでは「電気グルーヴの音源・映像の出荷停止、在庫回収、配信停止を撤回してください」の電子署名を集めている。既に2万人を越えているが、これも法的な力はなく、単なるアンケートと同じだ。
さて、ここでまた『俳諧問答』の方をお休みして、また俳諧を読もうと思う。
野坡、支考の俳諧はこれまでも読んできたが、許六の言うもう一人の血脈相続者、千川はまだなので、元禄六年一月江戸の大垣藩邸千川亭で興行された歌仙を読んでみようかと思う。
発句は、
野は雪に鰒の非をしる若菜哉 凉葉
で、「野は雪に」の巻になるところだが、これだと芭蕉が伊賀の宗房だった頃の百韻とかぶってしまうので、取りあえずここでは「鰒の非」の巻としておく。
凉葉(りょうよう)は『校本芭蕉全集』第五巻(小宮豊隆監修、中村俊定校注)の注に「上田氏、名は儀太夫、大垣の人で、後に江戸へ出て深川に寓居があったという」とある。
雪の鰒(ふぐ)というと、芭蕉の天和二年の、
雪の河豚左勝水無月の鯉 芭蕉
の句がある。これは句合せの書き方で、
雪の河豚
左勝
水無月の鯉
となり、縦書きだと左は水無月の鯉になる。
芭蕉の江戸の二人の門人、嵐雪と杉風(鯉屋)を較べて杉風の勝とした
句だ。
延宝五年の、
あら何ともなや昨日は過ぎて河豚汁 芭蕉
の句もあるように、若い頃は芭蕉も河豚を食っていたようだ。当時は河豚汁にすることが多かったのか、「雪の河豚」というのも、寒い季節に食べる河豚汁が旨かったからなのだろう。
河豚は日本では有史以前から食べていたようで、河豚の毒のある部位を取り除く技術についてもある程度のレベルにはあったと思われる。ただ、今日に較べれば危険も多かった。そのせいで、武家では禁止する藩も多かったという。
春になると雪の積もる野にも若菜が生えてきて、正月の七草粥になる。
一方、河豚は春になり産卵期になると毒が強くなるから、経験的に春になると河豚を食べるのをやめていたのだろう。それが「河豚の非を知る」なのかもしれない。
去年の冬には命知らずにも河豚汁を食ったりしたが、正月の若菜を見ると生きていてよかった、もう河豚はやめようと思う。そうは言ってもまた冬が来れば河豚が食いたくなるのだろうな。
この発句に千川が脇を付ける。
野は雪に鰒の非をしる若菜哉
まだうぐひすの啼きらぬこゑ 千川
千川も大垣の人。雪の残る野にまだ啼ききらぬ鶯で応じる。特に付け合いはなく、初春の心で付ける。
これに芭蕉が第三を付ける。
まだうぐひすの啼きらぬこゑ
門番の寝顔に霞む月を見て 芭蕉
前句の鶯の啼ききらぬを早朝だからとし、まだ寝ている門番に春の朧月を添える。孟浩然『春暁』の、「春眠暁を覚えず、処々啼鳥を聞く」の心か。
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