2019年3月27日水曜日

 東京都心部の桜に満開宣言が出たが、実際は六分咲きくらいの印象を受ける。
 日本気象協会によると、「満開日は標本木で80%以上のつぼみが開いた状態となった最初の日」だそうで、靖国神社にある標準木が八部咲きになったら満開と言っていいというわけだ。
 まあ、早く満開宣言をした方が景気付けになるというところか。
 それでは『俳諧問答』の続き。

 「一、上巻ニ
 春風や焼野の灰の跡もなし  長サキ 笑計
 是又同じ事也。
 「跡もなし」といひ切て、「春風や」とうたがひのやいかが。
 是も二ツ切字入たり。古来ハ五文字ニやとしてハ、中ノ七字にてとおかせず。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.116~117)

 「や」の用法は時代によって変化し、特にこの頃からちらほらと詠嘆の「や」のような用例が出てくる。蕪村の時代になると、

 菜の花や月は東に日は西に     蕪村

のように詠嘆の「や」が定着し、近代に至っている。
 蕪村のこの句は、

 菜の花に月は東に日は西に
 菜の花の月は東に日は西に
 菜の花は月は東に日は西に
 菜の花を月は東に日は西に
 菜の花と月は東に日は西に

など他の助詞に置き換えても意味が通じない。これに対し芭蕉の時代は他の助詞に変えて意味の通るものがほとんどだ。
 鈴呂屋書庫の『奥の細道─道祖神の旅─』の「七夕の二句」のところで、芭蕉の句で「や」と別の助詞と入れ替わっているものがたくさんある事に触れた。ここでも示しておく。
 1、「は」と「や」の入れ替わっているもの

 俤や姨ひとり泣月の友   『更級紀行』
 俤は姥ひとりなく月の友『芭蕉庵小文庫』

 曙はまだむらさきにほととぎす (真蹟)
 あけぼのやまだ朔日にほととぎす『芭蕉句選拾遺』

 大津絵の筆のはじめは何仏  『勧進牒』
 大津絵の筆のはじめや何仏  『蓮実』

 名月はふたつ有ても瀬田の月 『泊船集』
 名月やふたつ有ても瀬田の月『蕉翁句選』

 降ずとも竹植る日は蓑と笠  『笈日記』
 降ずとも竹植る日や蓑と笠 『こがらし』

 2、「の」と「や」の入れ替わっているもの

 さびしさの岩にしみ込む蝉のこゑ 『こがらし』
 淋しさや岩にしみ込むせみの声 『初蝉』

 中山の越路も月は又いのち 『芭蕉翁句解参考』
 中山や越路も月は又いのち 『荊口句帳』

 文月の六日も常の夜には似ず 『泊船集』
 文月や六日も常の夜には似ず『奥の細道』

 国々の八景更に気比の月  『荊口句帳』
 国々や八景更に気比の月 『芭蕉翁句解参考』

 さみだれの雲吹おとせ大井川 『笈日記』
 五月雨や雲吹落す大井川『芭蕉翁行状記』

 名月の花かと見へて棉畠   『続猿蓑』
 名月や花かと見へて綿ばたけ 『有磯海』

 松風の軒をめぐって秋くれぬ 『泊船集』
 松風や軒をめぐって秋暮ぬ  『笈日記』

 白菊の目にたてて見る塵もなし『笈日記』
 しら菊や目にたてて見る塵もなし 『矢矧堤』

 3、「に」と「や」の入れ替わっているもの

 須磨寺に吹ぬ笛きく木下やみ『続有磯海』
 須磨寺やふかぬ笛きく木下やみ 『笈の小文』

 柚花にむかし忍ばん料理の間『蕉翁句集』
 柚花や昔しのばん料理の間 『嵯峨日記』

 草の戸に日暮れてくれし菊の酒 『きさらぎ』
 草の戸や日暮れてくれし菊の酒『笈日記』

 夕顔に酔て顔出す窓の穴  (芭蕉書簡)
 夕顔や酔てかほ出す窓の穴  『続猿蓑』

 4、「を」と「や」の入れ替わっているもの

 その玉を羽黒にかへせ法の月 『泊船集』
 其玉や羽黒にかへす法の月 (真蹟懐紙)

 あさむつを月見の旅の明離 『荊口句帳』
 あさむつや月見の旅の明ばなれ 『其袋』

 行春を近江の人とをしみける  『猿蓑』
 行春やあふみの人とをしみける (真蹟懐紙)

 この道を行人なしに秋の暮 (芭蕉書簡)
 此道や行人なしに秋の暮    『其便』

 5、「と」と「や」の入れ替わっているもの

 川上とこの川下と月の友   『泊船集』
 川上とこの川しもや月の友  『続猿蓑』

 許六がここに示した、

 春風や焼野の灰の跡もなし     笑計

の句は、

 春風に焼野の灰の跡もなし

で意味が通じる。だからこの「や」は詠嘆とは言えない。疑いの「や」で正しい。「春風に焼野の灰の跡もなきや」の倒置になる。だから、

 春風や焼野の灰の跡もなき

ならまだわかる。ただ意味的にここは疑う場面かどうかというと、春風が吹いて草が一斉に萌え出でて、野焼きした痕跡が瞬く間に消えてゆくという意味で、疑う理由はない。だからこの場合は、

 春風に焼野の灰の跡もなし

の方がいい。

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