マイノリティーがいじめに遭うと、人権思想に藁をもすがる思いになるのかもしれない。ただ、私のような日本人で男で健常者でノン気という絵に描いたようなマジョリティーだと、いじめに遭っても自分が悪いということにしかならない。
実際小学校の間はずっといじめられてた記憶がある。今となっては詳しいことは思い出せないから、たいしたことではなかったのかもしれないが、少なくともクラスでは問題児として扱われ、親切にも学級裁判まで開いてくれ、何とか更生させようとみんなで話し合ってくれた。
そんな中で、いつしか正義だとか建前道徳だとかを信じなくなり、カミュやフーコーに傾倒してゆくことになった。それが今の自分の原点となっている。
多分、ネトウヨと呼ばれる人たちの多くにも似たような体験があって、何らかの形で西洋的な人権思想への失望というのがあるのではないかと思う。
いじめや差別をなくすのに、私は法整備で対応するという西洋的な考え方には懐疑的だ。それは結局警察や機動隊といった暴力装置で押さえつけているだけだからだ。ヘイトスピーチやヘイトクライムといった行動に移せば逮捕されるとしても、心に思い描くだけでは罪にならない。だからみんな結局心に思っても我慢しているだけで、何かの弾みで権力の空白が生じれば抑えていたものが一気に爆発する。
西洋的な方法は旧ユーゴスラビアでも失敗したし、EUも今やかなり怪しくなっている。
日本はもとより、世界には色々な文化圏があり、そこでも当然いじめや差別はあるのだから、その文化独自の対処法があると思う。西洋的な方法を一方的に全ての国に押し付けるのではなく、それぞれの文化圏での方法を発信し合って、駄目なものは自然と廃れ、良いものが生き残っていくようにすればいい。「多様性」というのはそのためにあるのだと思う。
それでは「宗祇独吟何人百韻」の続き。
九十一句目
はやくの事を泪にぞとふ
物毎に老は心の跡もなし 宗祇
宗牧注
老耄のこころ也。
周桂注
万端忘却の上にも、涙ばかりハ昔にかハらぬ物也。昔をとハんあひてにハ、心あひたる歟。
これは前向性健忘であろう。新しいことが覚えられず、「心の跡もなし」だが、「はやくの事」は思い出せるし、涙する。
九十二句目
物毎に老は心の跡もなし
めで来し宿は浅茅生の月 宗祇
宗牧注
月をめでこし宿ハ、浅茅原と荒たる也。
周桂注
よろづ忘却の上にも、月バかりハ誠にめでつべくこそ。
一句は倒置で、「月をめで来し宿は浅茅生で、物毎に老は心の跡もなし」となる。
歳取ると物もなかなか片付けられなくなるし、庭の手入れも行き届かなくなり、チガヤなどが生い茂る。
名残裏
九十三句目
めで来し宿は浅茅生の月
野辺の露袖より置きや習ふらん 宗祇
宗牧注
聞えたる体也。
周桂注
露は野べよりをく物なれど、我思のあまりに、袖よりをくらんと也。野べの露ハ色もなくてやこぼれつる袖より過る荻の上風。
引用されている歌は、
野辺の露は色もなくてやこぼれつる
袖より過ぐる荻の上風
慈円(新古今集)
句の方は、野辺の露も袖に置いた涙の露に習ったのだろうか、となり、その涙のわけを前句の浅茅生の荒れた宿とする。
九十四句目
野辺の露袖より置きや習ふらん
山こそ行衛色かはる中 宗祇
宗牧注
うつろふ袖のゆく衛ハ、山野なるぞといふ心也。
周桂注
我中も山とおなじく色かハるとなり。
山の紅葉は露の色に染まり変わってゆく。前句の袖の露の理由を、山が露をうけて紅葉に変わってゆくように、二人の仲も色あせてゆくからだとする。恋に転じる。
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