今日は旧暦四月十五日で満月。
雲が厚く、朧月ともいえないくらいの幽かな光が見えた。
それでは「幻住庵記」の続き。
まずは俳諧らしく季節の描写し、そこから中国南部の名所を言い興す。
「さすがに、春の名残も遠からず、つつじ咲き残り、山藤松にかかりて、時鳥しばしば過ぐるほど、宿かし鳥のたよりさへあるを、啄木のつつくともいとはじなど、そぞろに興じて、魂呉・楚東南に走り、身は瀟湘・洞庭に立つ。」
ツツジは春の季語だが、初夏にも咲き残る。藤もまた晩春のもので、和歌には夏に詠むこともある。
夏にこそ咲きかかりけれ藤の花
松にとのみも思ひけるかな
源重之(拾遺集)
松に藤を詠む例は多い。
ホトトギスは言うまでもなく夏の初めを告げるもので、元禄二年刊の『阿羅野』には、あの有名な、
目には青葉山ほととぎす初鰹 素堂
の句がある。
「宿かし鳥」は「樫鳥」に「宿を貸す」を掛けたもので、樫鳥はカケスの別名。ウィキペディアには、
「また信州・美濃地方では「カシドリ」の異名もありカシ、ナラ、クリの実を地面や樹皮の間等の一定の場所に蓄える習性がある。冬は木の実が主食となり、蓄えたそれらの実を食べて冬を越す。」
とある。
啄木(きつつき)といえば、『奥の細道』の旅の途中、雲巌寺で、
木啄も庵は破らず夏木立 芭蕉
の句を詠んでいる。
「宿かし鳥」は幻住庵を借りたという連想が働くし、啄木も仏頂和尚の修行時代の小さな庵が思い浮かぶ。
そして、それがどういうところなのか、中国の瀟湘・洞庭に喩える。瀟湘は「瀟湘八景」として画題になっているし、洞庭湖の景色も古くから漢詩に詠まれている。
「魂呉・楚東南に走り」は出典がある。
登岳陽樓 杜甫
昔聞洞庭水 今上岳陽樓
吳楚東南坼 乾坤日夜浮
親朋無一字 老病有孤舟
戎馬關山北 憑軒涕泗流
いつか聞いた洞庭の湖水のすばらしさを、
今、岳陽樓の登って目にする。
春秋時代の呉と楚はここを国境として東南と北西に別れ、
天と地を昼も夜もここに浮かべては映す。
親からも仲間からも一字の便りもなく、
老いて病気がちの我が身はただ一艘の小船のみを有す。
異国の騎馬隊は関山の北に迫り、
樓の軒にうつ伏しては泪に鼻水がぐしゅぐしゅ。
こうした詩をふまえながら、初夏の幻住庵の景色が描き出される。
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