2018年5月29日火曜日

 今日は旧暦四月十五日で満月。
 雲が厚く、朧月ともいえないくらいの幽かな光が見えた。
 それでは「幻住庵記」の続き。

 まずは俳諧らしく季節の描写し、そこから中国南部の名所を言い興す。

 「さすがに、春の名残も遠からず、つつじ咲き残り、山藤松にかかりて、時鳥しばしば過ぐるほど、宿かし鳥のたよりさへあるを、啄木のつつくともいとはじなど、そぞろに興じて、魂呉・楚東南に走り、身は瀟湘・洞庭に立つ。」

 ツツジは春の季語だが、初夏にも咲き残る。藤もまた晩春のもので、和歌には夏に詠むこともある。

  夏にこそ咲きかかりけれ藤の花
     松にとのみも思ひけるかな
             源重之(拾遺集)

 松に藤を詠む例は多い。
 ホトトギスは言うまでもなく夏の初めを告げるもので、元禄二年刊の『阿羅野』には、あの有名な、

 目には青葉山ほととぎす初鰹   素堂

の句がある。
 「宿かし鳥」は「樫鳥」に「宿を貸す」を掛けたもので、樫鳥はカケスの別名。ウィキペディアには、

 「また信州・美濃地方では「カシドリ」の異名もありカシ、ナラ、クリの実を地面や樹皮の間等の一定の場所に蓄える習性がある。冬は木の実が主食となり、蓄えたそれらの実を食べて冬を越す。」

とある。
 啄木(きつつき)といえば、『奥の細道』の旅の途中、雲巌寺で、

 木啄も庵は破らず夏木立   芭蕉

の句を詠んでいる。
 「宿かし鳥」は幻住庵を借りたという連想が働くし、啄木も仏頂和尚の修行時代の小さな庵が思い浮かぶ。
 そして、それがどういうところなのか、中国の瀟湘・洞庭に喩える。瀟湘は「瀟湘八景」として画題になっているし、洞庭湖の景色も古くから漢詩に詠まれている。
 「魂呉・楚東南に走り」は出典がある。

   登岳陽樓     杜甫
 昔聞洞庭水 今上岳陽樓
 吳楚東南坼 乾坤日夜浮
 親朋無一字 老病有孤舟
 戎馬關山北 憑軒涕泗流

 いつか聞いた洞庭の湖水のすばらしさを、
 今、岳陽樓の登って目にする。
 春秋時代の呉と楚はここを国境として東南と北西に別れ、
 天と地を昼も夜もここに浮かべては映す。
 親からも仲間からも一字の便りもなく、
 老いて病気がちの我が身はただ一艘の小船のみを有す。
 異国の騎馬隊は関山の北に迫り、
 樓の軒にうつ伏しては泪に鼻水がぐしゅぐしゅ。
 
 こうした詩をふまえながら、初夏の幻住庵の景色が描き出される。

0 件のコメント:

コメントを投稿