今日は雨。気温も下がった。
それでは「花で候」の巻の続き。
脇
花で候お名をばえ申舞の袖
夢の間よただわか衆の春 宗因
前句の若衆歌舞伎の趣向からすれば、「舞の袖」を「若衆」で受けるのは必然といえよう。そして「花」と名乗るにふさわしく、夢のように過ぎてゆく短い春の今を輝くという決意を表している。
これも日本人特有の死生観なのかもしれない。神話でイワナガヒメとコノハナサクヤヒメのどちらかを選べといわれたとき、ためらわずにコノハナサクヤヒメを選んだのが日本人だ。永遠の命なんて欲しくない。たとえ短い命でも花を咲かせたい。
『竹取物語』でも不死の薬を富士山の名前に掛けて、富士山頂で燃やしてしまう。姫が居ないなら永遠に生きる意味などない。そうして不死の薬を燃やしたため、富士山はその後長いこと煙を吐き続けることになったとさ、となる。古代の富士山は常時噴煙を上げていたようだ。
風になびく富士の煙の空に消えて
ゆくへもしらぬわが思ひかな
西行法師
と歌にも詠まれた。
第三
夢の間よただわか衆の春
付ざしの霞底からしゆんできて 宗因
「付ざし」は『連歌俳諧集』の注に「親愛の情を示すために、口を付けた盃
または吸いつけた煙管を相手に与えること。」とある。
「霞」は酒の異名だという。今でも濁った酒のことを「かすみ酒」というが、当時の酒は大体濁っていた。
花に浮世我飯黒く酒白し 芭蕉
の句は天和三年(一六八三年)で、これよりはかなり後。
「しゆんできて」は凍みてきてということ。前句の「夢の間」を人生が夢だということではなく、単に酒が回ってきて夢見心地の間という意味に取り成される。米米クラブの「オン・ザ・ロックをちょうだい。」を思わせる。
四句目
付ざしの霞底からしゆんできて
手と手まくらをかはすとはなし 宗因
打越の若衆を離れるため、ここでは男女のこととすべきであろう。
「かはすとはなし」は「かはすとはなくかはす」で結局交わすのだろう。
五句目
手と手まくらをかはすとはなし
しのばれぬ昼のやうなる月の夜に 宗因
前句を交わさない意味に取り成したか。秋に転じ、ここに初表の月を出す。
六句目
しのばれぬ昼のやうなる月の夜に
露にぬれものほほかぶりして 宗因
「ぬれもの」の用例として、『連歌俳諧集』の注は『好色伊勢物語』(江戸前期、作者不詳)を引用している。
「ぬれもの、いろ好む女をもいひ、すぐれた姿をもいふ。ぬれもの、しなものといふも同じ詞なり。吉弥といふ女方をほめていひ出したる詞とぞ」
「月」に「露」は付き物ということで、露から「ぬれもの」を言い興す。なかなか色好みのいい女がいるというので、昼のような月夜でもほっかむりした男がやってくる。
七句目
露にぬれものほほかぶりして
霧ふかき出格子に立門に立 宗因
前句が夜這いのような情景だったのに対し「出格子」を出すことで遊郭になる。こういうところに出入りする男は、誰だかわからないように顔を隠す。
八句目
霧ふかき出格子に立門に立
引よせ顔の見ゆる三味線 宗因
三味線が遊女歌舞伎で取り入れられていたから、その遊女歌舞伎が禁じられ、遊女達が吉原などの遊郭に閉じ込められるようになっても、三味線はそこでも遊女達の芸だった。三味線と端唄で人を引き付け、客を誘う。
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