今日は雨になった。
それでは「花で候」の巻の続き。
八十九句目
ため息ほつと月の下臥
身にしめて恨を須磨の蜑のこと 宗因
須磨の海女の恋は、
須磨の海女の塩焼き衣の慣れなばか
一日も君を忘れて思はむ
山部赤人(万葉集)
以来、様々に詠まれてきて、それがやがて『源氏物語』の須磨の物語や、在原行平の伝説と結びついた謡曲『松風』などに凝縮されていった。
須磨の海女は月の下に臥して、別れた人のことを恨んでいる。
九十句目
身にしめて恨を須磨の蜑のこと
おとどいながらちぎられにけり 宗因
謡曲『松風』がなにげにすごいのは、二人の女性と同時につきあうという、男なら誰でも憧れるハーレム展開、ポルノで言えば3P。江戸時代の人も、三人でどうやって愛し合ったのかは大いに気になったところだろう。
「おとどい」は兄弟、姉妹をいう。
九十一句目
おとどいながらちぎられにけり
二十五絃半分わけの形見にて 宗因
中国には古くから二十五弦の瑟(しつ)があり、四書五経にもその記述がある。『史記』は「太帝使素女鼓五十絃瑟、悲、帝禁不止、故破其瑟爲二十五絃。」という伝説を記し、その起源を伏羲にまで遡らせている。
ウィキペディアの「古筝」の項には、
「唐代以降の伝説として、25弦の瑟を兄弟(文献によっては姉妹または親子)で争い、2つに分けたのを筝の起源とする伝説もあるが、これは「筝」という名称を説明するために作られた説話であろう。」
とある。注釈のところに、
「岡昌名(1727)『新撰楽道類集大全』第2巻・楽器製造集上・箏「或記云:秦女争瑟引破、終為両片。其一片有十三弦、為姉分。其一片有十二弦、為妹分。秦皇奇之、立号為箏。或云:秦有綩無義者、以一瑟伝二女。二女争引破、終為二器。故号箏。」
とある。
この句の場合、後者の筝の起源となる、二十五弦の瑟を十三弦と十二弦に分けて姉妹とした話が元になっていると思われる。一七二七という年号はこの巻よりかなり後だが、説話自体(或記)はもっと古くからあったのだろう。
宗因は音楽の歴史にも詳しかったようで、さすがに話の引き出しが広い。グーグル検索がなかったら多分一生かかってもここに辿り着けなかだろう。
瑟を千切って二つの筝とし、それを弾きこなせばさながら姉妹両方と契ってるかのようだ。
九十二句目
二十五絃半分わけの形見にて
やもめにうらに此一やしき 宗因
これは「二十五絃」を「二十五間」に取り成したか。まあ二十五間(四十五メートル)というとかなり巨大な屋敷になってしまうから、一間四方×二十五、つまり二十五坪の小さな家と見たほうがいいのか。
未亡人への形見分けに、本宅の裏に二十五坪の屋敷をあてがってやるという意味か。
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