今日も夕方から雨が強くなった。やはり肌寒い。
飯舘村の道の駅で買った白狼というどぶろくを飲んだ。見かけは甘酒のようだが、なかなかの辛口の酒だった。白狼、タタール語だとaq bureになるのかな。
それでは「花で候」の巻の続き、初裏に入る。
九句目
引よせ顔の見ゆる三味線
はなれかねともども綱の舟遊び 宗因
前句の三味線から川での舟遊びへと展開する。
「ともども綱」は舟の船尾(艫:とも)にある船を繋ぐための「艫綱」に男女ともどもを掛けたもの。
十句目
はなれかねともども綱の舟遊
川ほどふかきおもひなりけり 宗因
舟遊びといえば川。「はなれかね」から「ふかきおもひ」と四手に付ける。
十一句目
川ほどふかきおもひなりけり
君となら此酒樽も呑ほさん 宗因
酒飲みの恋か。「川ほどふかき」は君への思いなのか酒への思いなのか。
十二句目
君となら此酒樽も呑ほさん
一寸さきは名もたたばたて 宗因
忍ぶ恋なのだろうけど、どうもバレそうになっているような。でもそれでもいい、浮名が立つならそれでもかまわない、といいながら酒を樽で飲む。こうなったら、毒を食らわば皿までというところか。
十三句目
一寸さきは名もたたばたて
浅からぬ千話のあまりに指を切 宗因
「千話」は痴話で、ここでは痴話喧嘩のことか。多分女が浮気や二股を疑われたのだろう。忠誠心を示すために指を切る。
指を切るという行為は、近代ではやくざなどが罰として指を詰めさせたりするが、もとは忠誠心の証しとして、特にそれを疑われることがあったときに、忠誠心を示すために行われていたものであろう。
ウィキペディアによれば、
「誓いだてに指を切らせた例として、井原西鶴の「武道伝来記」で泉川修理太夫が妻の不倫を疑い、「密夫なければ諸神誓文に五つの指を自ら離せ」といって、裸にし、指を断たせたことが見える。また吉原遊女が常連客に「一途であること」を示すために自分の小指を切って送ることがあった。ただしこの際に新粉(しんこ、米粉の餅)細工の作り物や、首切り役人から死体の指を調達して自分の指として送る例も見られた。売れっ子の花魁はその行為は「粋ではない」とし、「離れるなら離れればいい。身請けされる時にみっともない。」と決して行わなかった。身請けをされる見込みがない遊女は逆に必死になり、間男や惚れた男に誓いを立てていた。」
という。
韓国ではデモなどのときに抗議のしるしとして指を切り落として投げつけるという。
十四句目
浅からぬ千話のあまりに指を切
うかれ女なれどつよき心中 宗因
「うかれ女」は遊女のこと。
「心中」は「しんじゅう」で、心の中、胸の内を意味する「しんちゅう」ではない。心中(しんじゅう)というと、いまではほとんどいっしょに自殺するという意味でしか用いられないが、コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」によれば、それとは別に、
4 人に対して義理を守ること。
「―が立たぬと思ひ、親へ便りもせずに帰る」〈浄・歌念仏〉
5 愛し合っている男女が指や髪を切ったりして、愛情の変わらないことを示すこと。また、その証(あかし)。
「女郎の―に髪を切り爪をはなち」〈浮・一代男・四〉
とある。義理の強さ、愛情の強さは義理と人情で矛盾しているようにも見える。むしろ忠誠心の強さと見た方がいい。
十五句目
うかれ女なれどつよき心中
大磯に残るかたみのちから石 宗因
これは本説による付け。
大磯には「虎が石」ものがある。ウィキペディアによれば、
「大磯町の延台寺に伝わる虎が石は、子宝祈願のため虎池弁財天を拝んだ山下長者の妻に与えられ、やがて夫妻は虎御前を授かった。虎の成長とともにこの石も成長し、祐成を賊の矢から防いだことで身代わり石とも呼ばれる。」
とのこと。
祐成は『曽我物語』の曽我兄弟の兄のほうの曾我十郎祐成(すけなり)で、虎御前はその愛人だった。虎御前は遊女だったから「うかれ女」ともいえる。
この場合の心中は祐成を守る気持ちということになる。
蕉門では本説で付けるときは少し変えるが、ここではほぼそのまんまに展開している。
十六句目
大磯に残るかたみのちから石
道どほりさへなみだはらはら 宗因
大磯の力石は、通りがかりの旅人さえもはらはらと涙を流す。旅体に展開する。
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