幼女誘拐殺人事件が起きるたびに、判で押したようにマスコミは犯人がアニメを見ていたなんてことを持ち出す。そりゃ今の日本でアニメを見たことのない人を探すほうが難しいだろう。
アニメが好きで何が悪い、アニメを見たら犯罪予備軍なのか、そんなことはないというわけで、私もアニメが好きだと大きな声で言いたい。これはMeToo運動だ。
というわけで、2013年以降に最初から最後まで見たアニメのタイトルを、思いつくままに列記しておこう。全部は見なかったものを加えるとこの何倍にもなる。
デスマーチからはじまる異世界狂想曲
ゆるキャン△
りゅうおうのおしごと!
宇宙よりも遠い場所
異世界食堂
終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか?
けものフレンズ
僕だけがいない街
がっこうぐらし!
パンチライン
のうりん
ヤマノススメ
ヤマノススメ セカンドシーズン
灰と幻想のグリムガル
アウトブレイク・カンパニー
甘城ブリリアントパーク
神さまのいない日曜日
COPPELION
PSYCHO-PASS サイコパス 2
残響のテロル
デート・ア・ライブ
東京喰種トーキョーグール
棺姫のチャイカ
棺姫のチャイカ AVENGING BATTLE
映画『アナと雪の女王』
映画『君の名は。』
みんなみんな大好きだーーーっ、というわけで「花で候」の巻の続き。三の懐紙に入る。
五十一句目
さほ姫ごぜと見まゐらせつる
ふり袖のうしろすがたや霞らん 宗因
さほ姫ってどんな人?というと、多分降り袖の後姿も霞むような人だろう、ということ。
五十二句目
ふり袖のうしろすがたや霞らん
ひかばなびかでなぜにぴんしゃん 宗因
前句の「霞らん」はここではたいした意味もなく殺した感じで、振袖の後姿に、袖を引いたのに靡きもせずにピンシャンしていると付ける。
「ぴんしゃん」は今で言えば「つんとしている」ということか。平安語だと「そばそばし」になるのか。
五十三句目
ひかばなびかでなぜにぴんしゃん
曲馬のやうなおこころ恨めしや 宗因
ぴんしゃんしていてもやはり惹かれてしまうもの。今だとツンデレだが、江戸時代だと「でれる」は何て言うのか。
五十四句目
曲馬のやうなおこころ恨めしや
坊主もとんと落られにけり 宗因
ものが曲馬(くせうま)だけに恋に「落ちる」と。
名にめでて折れるばかりぞ女郎花
我れ落ちにきと人に語るな
僧正遍昭(古今集)
も仮名序には「嵯峨野にて馬より落ちてよめる」とある。
五十五句目
坊主もとんと落られにけり
恋の淵わたる世はただ一つ橋 宗因
これだと単に恋に落ちたという軽い意味ではなく、愛憎の地獄に落ちるという恐ろしい意味になる。「一ツ橋」は丸太一本架けただけの細い橋。
五十六句目
恋の淵わたる世はただ一つ橋
泪の小川のちは淀川 宗因
恋の淵は最初は泪の小川のようでも、それがいつの間にか淀川のような大河になる。長谷川きよしや野坂昭如が歌っていた「黒の舟歌」を思い出す。
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