四日続きの雨。今日は昼頃激しい雨が降り、雷が鳴った。
それでは「花で候」の巻の続き。二表に入る。
二十三句目
いつか女房にしづのをだ巻
つかはるる前だれ腰の目に付て 宗因
「巻」から腰に巻く「前だれ」を付ける。前垂れは下女や茶屋女がするものとされてたから「しづ」の「巻」といえよう。
前垂れは江戸中期頃から前掛けと呼ばれるようになり、町人の男女が一般的に用いるようになったという。
前垂れフェチということではなく、単なる尻フェチだと思うが、そうやって腰に目をつけて女房にした賤の巻いた前垂れ、となる。
二十四句目
つかはるる前だれ腰の目に付て
馳走ぶりにもほるる旅籠屋 宗因
前垂れをした女性を旅籠屋の飯盛女とする。
飯盛女はウィキペディアには、
「飯盛女(めしもりおんな)または飯売女(めしうりおんな)は、近世(主に江戸時代を中心とする)日本の宿場に存在した私娼である。宿場女郎(しゅくばじょろう)ともいう。」
「17世紀に宿駅が設置されて以降、交通量の増大とともに旅籠屋が発達した。これらの宿は旅人のために給仕をする下女(下女中)を置いた。やがて宿場は無償の公役や商売競争の激化により、財政難に陥る。そこで客集めの目玉として、飯盛女の黙認を再三幕府に求めた。当初は公娼制度を敷き、私娼を厳格に取り締まっていた幕府だったが、公儀への差し障りを案じて飯盛女を黙認せざるを得なくなった。」
とある。
元禄三年の「灰汁桶の」の巻の二十三句目の、
旅の馳走に有明しをく
すさまじき女の智恵もはかなくて 去来
も飯盛女の句か。
二十五句目
馳走ぶりにもほるる旅籠屋
暁のわかれのかねを置みやげ 宗因
世話になった飯盛女に、明けがたの旅立ちの時にチップを置いてゆく。「かね」は暁の鐘と置いてゆく金とを掛けている。
二十六句目
暁のわかれのかねを置みやげ
鳥はものかは我ぞつたなき 宗因
「もの」は幽霊か幻か、とにかく心に顕れる不確かなものをいう。「応仁元年心敬独吟山何百韻」の発句に、
ほととぎす聞しハ物か不二の雪 心敬
とある。もっと古い例では、
題しらず
待つ宵のふけゆく鐘の声きけば
あかぬ別れの鳥はものかは
小侍従(新古今集)
の歌がある。
いにしえの貴族のきぬぎぬを遊女の朝の別れに換骨奪胎する。
「拙き」は天性に恵まれないという意味で、身分(天分)、才能(天才)、運(天命)に恵まれないことをいう。芭蕉の『野ざらし紀行』の富士川の捨て子に対し、芭蕉は「唯これ天にして、汝の性(さが)のつたなきをなけ。」と言う。
二十七句目
鳥はものかは我ぞつたなき
ぎやうぎやうしことごとしくも恨かけ 宗因
仰々しく事々しく実際以上に恨んでいるかのような鳥の声はこの世の者とも思えず、なんとも運が悪い。面倒くさい女につかまってしまったか。
二十八句目
ぎやうぎやうしことごとしくも恨かけ
なまなかしんでらちあけん中 宗因
いっそのこと死んで終わりにすることで、思いっきり恨みをかけて、生涯苦しめてやろうか、となんか恐ろしい。
「埒(らち)」は今では「埒があかない」と否定的に使うが、本来は「埒があく」とも「埒をあける」とも言った。「埒」は区切りのこと。
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