シュタゲを見ていて、久しぶりにディストピアという言葉を思い出したが、笑い事ではない。そのうちスポーツの試合があると警官がずらっと取り囲んで、反則があると手錠を掛けられて退場する時代が来るかもしれない。
そのうちキスをしたり体を触ったりすることを当事者の感情と無関係に権力が勝手にセクハラと認定してセクハラ罪になり、事実上恋愛のできない時代が来るかもしれない。
そういえば「下ネタという概念が存在しない退屈な世界」のアニメは途中までしか見てない。あれも一種のディストピアものだったな。
それでは「花で候」の巻。江戸時代は「かまわぬ(自由)」だった。
八十三句目
夜さの使に行さうりとり
端ちかき傾城に先立寄て 宗因
「傾城」は単に遊女という意味。最初は城を傾けるほどの美人の意味だったが、段々意味が矮小化されてったようだ。端ちかきは遊女でも局(六十四句目のところで言った下級の遊女)の中でも端っこのほうということか。主人の女の用立てするついでに、自分の用もちゃっかりと済ます。
八十四句目
端ちかき傾城に先立寄て
きせるにおもひ付てたまはれ 宗因
第三のところで出てきた「付ざし」は酒だったが、ここではキセルで吸うタバコのこと。
ところでこの言い回し、粋なのか横柄なのか、当時の人にはどう響いたのか気になる。
八十五句目
きせるにおもひ付てたまはれ
盲目は声をそれぞと聞ばかり 宗因
これもどういうシチュエーションなのかわかりにくいが、傾城は忘れたほうがいいのだろう。
「きせるにおもひ付てたまはれ」と言われて、目の不自由な女は誰が来たかわかるということか。
八十六句目
盲目は声をそれぞと聞ばかり
よばひわたるはさてもあぶなや 宗因
前句の「盲目」は比喩で、真っ暗闇で何も見えないときの夜這いは危ない。ってそれは軒端荻?それとも常陸宮の姫君?
八十七句目
よばひわたるはさてもあぶなや
浮橋を踏はづすかとみる夢に 宗因
有名な、
春の夜の夢の浮橋とだえして
峰に別るる横雲の空
藤原定家(新古今集)
を卑俗な夜這いにして落とす。
元歌も「峰に別るる」に後朝(きぬぎぬ)を暗示させているが、「踏みはづす」だと別れどころかどっぷりと泥沼にはまりそうだ。
八十八句目
浮橋を踏はづすかとみる夢に
ため息ほつと月の下臥 宗因
これは狐に化かされたか。
天女の屋敷に誘われてついて行くと、突然足元の浮橋が消え去ってまっさかさま。気付くとあれは夢で、月の下に横たわってほっと溜息を付く。
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