テレビアニメの「名探偵コナン」ではいつも「たった一つの真実見抜く」と言っている。推理物は作者が神となってあらかじめ真実を定め、それを読者や視聴者に当てさせるゲームだから、そこには別解というのはないし、迷宮入りすることもない。
だが事実は違う。確かにたった一つの真実はあった。ただそれは一回限りで、そこに存在していた真実は、次の瞬間には時の流れとともに消え去り、後はただ当事者の不完全な記憶と、真偽不明の証言、どうとでも解釈できる物証があるのみだ。
古代ギリシャの法廷弁論家ゴルギアスは、「何も存在しない、存在したとしても知ることが出来ない、知ったとしても伝えることができない」と言ったが、実際の法廷というのはそういうものなのだろう。
不確かな記憶と嘘かもしれない証言、それにどうとでも解釈できる物証から、とりあえず何らかの結論を導き出し、判決を下さねばならない。もちろんその判決が「たった一つの真実」である保証などどこにもない。真実は事件が起きたときただ一回限り存在し、あとは存在しないものとなる。
科学は仮説と検証を繰りかえすことで真実を探求するが、そこで明らかにされる真実は一回限りの事件の真相ではなく、常に反復される法則の真実にすぎないし、それも今まで繰り返し検証されてきたからといって、次もまたそうなるという保証は何もない。科学は仮説検証を繰り返すことで、限りなく真実の近似値に近づくことは出来ても絶対的真理を得る事は出来ない。
数学的真理は定義や公理の体系が整合する所にあるにすぎず、ゲーデルの不完全性定理で完全で無矛盾の体系が不可能である事が証明されている。
要するに不完全な人間に絶対的真理なんて無理だということだ。数学でも物理学でも、知れば知るほど謎が深まるのは当たり前のことだ。まして一回限りの事件の真相など、本当の所結論なんて出るもんではない。
ただ人は邪推と下衆の勘繰りで勝手で「こうだったに決まってる」と決め付け、疑われた人間がそのとおりに自白しない限り永久に「疑惑は深まった」と言い続ける。その自白すら、強要されたものだと言い出されれば当てにならない。
事件というのはその時には真実があったかもしれないが、今となっては「もはや存在しない」。
タイムマシンでもあれば確かめられるかって、そうもいかない。タイムトラベルがあれば、それによって歴史は変わってしまうから、過去に遡って目撃した事件は、元の事件と同じとは言えない。シュタゲ的に言えばそれは「別の世界線」の真実だ。
連歌や俳諧の真実についても、それは確かにかつては存在したが、今では存在しない。全ては仮説にすぎない。ただ仮説を立て、それを文献や遺物などで検証を繰り返せば、他の科学と同様、多少の近似値を得られる。
今ではネットでいろいろな情報も入手できるし、昔と較べれば格段に研究環境は良くなっている。ぜひたくさんの人に連歌や俳諧の謎解きに挑戦して欲しい。
たった一つの真実なんてなくていいし、そんなものは知りえない。色々な解釈がありながらも、仮説検証を繰り返して少しづつ精度を高めることができれば、不完全な人間としてはそれ以上望むべきではないだろう。
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