2018年5月9日水曜日

 ドミノ倒しは日本では将棋倒しと呼んでいた。将棋の駒は立てることができるし、それを並べて倒す遊びは子供の頃よくやった。それに対しドミノの牌は日本の家庭ではほとん見られないし、私自身ドミノ牌を手にしたことがないし、どうやって遊ぶのかも知らない。
 ドミノの牌であれ将棋の駒であれ、次から次へと倒れていったとき、それを止めるのにはどうすればいいかというと、倒れてゆく先端に先回りし、今まさに倒れようとしているそれを止めて、立てるしかない。そして、次にそれに寄りかかっているのを立て、後ろに戻ってゆくしかない。
 核ドミノを止めるには、まず今まさに核開発を進めている国の核を、世界が協力してあらゆる圧力を掛けて止めるしかない。北朝鮮の核はどうやら世界各国の協力のおかげでもうすぐ実を結ぶのではないかというところまで来た。となると、次はイランの核ということになるだろう。おそらくイランの完全な非核化はイスラエルの非核化との取引になるだろう。
 今までの反核運動が実を結ばなかったのは、先端を止めずに最初の原因を作ったアメリカに核廃絶を促そうとしたからだ。ドミノ倒しの一番最初のドミノの牌を立て直したところで、ドミノ倒しは止まらない。子供でもわかることだ。
 以上、じじい放談で、これからが本題。「花で候」の巻の続き。

 十七句目

   道どほりさへなみだはらは
 立宿に胸のけぶりやふすぶらん  宗因

 「ふすぶ」は燻ぶと書き、煙がくすぶるという意味と嫉妬するという意味がある。
 傷心を癒すために旅に出たのだろうか。それでも嫉妬する心は胸の中でくすぶり続け、涙がちょちょぎれる。

 十八句目

   立宿に胸のけぶりやふすぶらん
 しんきはらせぬ萱茨のうち    宗因

 「萱茨」は「かやぶき」と読む。
 「しんき」は「辛気」であろう。「辛気臭い」という言葉は今でも使う。
 五行説では、木、火、土、金、水の五つのエレメントは様々の物の中に見られるとされている。色で言えば、木=青、火=赤、土=黄、金=白、水=黒となり、季節で言えば木=春、火=夏、土=土用、金=秋、水=冬となり、方角では木=東、火=南、土=中、金=西、水=北となる。(「五行配当表」で検索すると色々出てくる)
 さらに五味というのがあって、木=酸、火=苦、土=甘、金=辛、水=鹹(しおからい)となる。また、感情については五志というのがある。木=怒、火=喜、土=思、金=悲(憂)、水=恐(驚)。
 これで行くと辛気が金の属性を持つもので、憂鬱を引き起こす気のことだとわかる。
 前句の「立宿に」を仮定として、宿を発ったところでどうせ胸の嫉妬心はくすぶりつづけるだろう、とし、実際は萱葺屋根の粗末な家で悶々としている。
 五行説は芭蕉の発句などでも一つの隠し味になっている。たとえば、

 身にしみて大根からし秋の風   芭蕉

の句は、大根の白に、辛いという味、それに秋という季節がすべて金気で統一されている。

 十九句目

   しんきはらせぬ萱茨のうち
 月にしもお茶をかごとのすき心  宗因

 辛気と金気が出たところで季節は秋になり月を出す。
 前句の茅葺の家を茶室としたか。「かごと」は託言と書き、託(かこ)つこと、言い訳、口実、愚痴など、何かのせいにして自分をごまかすことをいう。
 名月の風流を口実に愛しい人を誘ったりして下心たっぷりでお茶室に入るも、なかなか思うように行かずかえって憂鬱になる。

 二十句目

   月にしもお茶をかごとのすき心
 たつた一筆おくる秋の夜     宗因

 茶の心といえば簡素をもととし、一枚の花びらに満開の花を想像するような省略の美を良しとする。恋文も長くてはいけない。あくまで簡潔な一言で表現する。ある意味俳諧の心にも通じる。

 二十一句目

   たつた一筆おくる秋の夜
 中立に長物がたりくり返し    宗因

 「中立(なかだち)」は仲を取り持つ人のこと。ここでは恋文の代筆でも頼んだのだろうか。依頼者はと自分の思いを長々ととりとめもなく語るばかりでまとめるのも面倒だから、一言だけ書いて相手に贈ってやる。
 この頃には花の定座が習慣化されていたが、発句に「花」があり、花は一つの懐紙に一本なので、ここでは出せない。これを忘れると宗祇法師のように名残の懐紙の花をこぼしてバランスを取ることになる。

 二十二句目

   中立に長物がたりくり返し
 いつか女房にしづのをだ巻    宗因

 「しづのをだ巻」は「倭文の苧環」という字を当てる。「倭文(しづ)」は中国から布が輸入される前に既に日本に存在していた古いタイプの織物のことをいう。「苧環(をだまき)」は麻糸を巻いた巻子(へそ)。難読語辞典

Weblio辞書の「三省堂 大辞林」には、「へそ【綜▼ 麻▽・〈巻子〉】績ぅんだ麻糸を環状に幾重にも巻きつけたもの。おだまき。」とある。
 しづのをだ巻は『伊勢物語』の、

 古のしづのおだまき繰りかへし
     昔を今になすよしもがな
             在原業平

の歌に詠まれている。
 「しづのをだ巻」から「繰りかへし」を導き出すなら掛けてには(あるいは歌てには)になるが、ここではただ「繰りかえし」の縁語で「しづのをだ巻」が出て来たにすぎない。「中立に長物がたりくり返しいつか女房にし」までが句の意味で、最後の「し」に「しづのをだ巻」を掛けた形になる。「まかせてちょんまげ」だとか「いただきまんもす」のようなもの。意味はない。
 仲を取り持ってくれる女に切々と思いを伝えてもらおうと長々と放しているうちに、結局その取り持ち女と結婚してしまったという話。故郷の女に毎日ラブレターを書いていたらその女が郵便屋と結婚してしまったみたいなもの。遠くにいる人よりいつも近くにいる人のほうが強い。

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