2020年2月28日金曜日

 「口まねや」の巻の続き。

 二表。
 二十三句目。

   苫やの陰に侘た雪隠
 さすらふる我身にし有はすきの道 宗因

 中村注は、

   堀川院御時百首歌奉けるとき旅歌
 さすらふる我身にしあれば象潟や
     あまの苫屋にあまた旅寝ぬ
              藤原顕仲朝臣(新古今集)

を引いている。
 すきの道(数寄道:すきどう)はコトバンクの「世界大百科事典内の数寄道の言及」に、

 「17世紀には,数寄といえば侘茶を指すようになり,侘茶が茶の湯の本流として位置づけられるようになった。17世紀末に茶道の称がおこり,元禄年間(1688‐1704)ころからは数寄道は茶道と呼ばれるようになる。茶道【日向 進】。」

とある。
 さすらいの茶人から、苫屋の影の侘び、と付くが、最後は雪隠で落ちになる。
 二十四句目。

   さすらふる我身にし有はすきの道
 忍びあかしのおかたのかたへ   宗因

 「すきもの」は古くは色好みの意味だったし、近代でもその意味で用いられている。
 『源氏物語』の明石の君を江戸時代の遊郭風に「明石のお方」と呼び、須磨明石にやってきた光源氏の物語を当世風に作り変えている。
 二十五句目。

   忍びあかしのおかたのかたへ
 織布のちぢみ髪にもみだれぞめ  宗因

 「ちぢみ髪(縮髪)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① ちぢれている頭の毛。ちぢれっ毛。色欲が強いとされた。ちぢゅうがみ。
  ※評判記・満散利久佐(1656)「とかく、ねふりめ成女也、縮髪にて、いかが侍らん」
  ② 手を加えて縮れ毛にした髪。
  ※随筆・守貞漫稿(1837‐53)九「男女ともに縮み髪はやりて之を賞せり」

とある。
 明石と縮(ちぢみ)は明石縮という織物の縁があり、そこから「織布のちぢみ」と掛けて「縮み髪」を導き出す。
 「乱れ染め」というと『小倉百人一首』の、

 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに
     乱れそめにし我ならなくに
            河原左大臣

がよく知られている。「しのぶもぢずり」については諸説あるが、筆者は『奥の細道─道祖神の旅─』(鈴呂屋書庫)には『万葉集の服飾文化』(小川安郎、1986、六興出版)を参考にして、

 「摺り衣というのは植物や鉱物などをすり潰した染料を衣類に擦り付けるだけの、衣類の着色方法としては最も原始的なものだ。しのぶもぢ摺りというのは、おそらく染料を着けた平らな岩に衣を擦り付けることによって不定形の乱れ模様を着けていたのだろう。」

と推測した。「乱れ染め」は和歌では恋に心が乱れることと掛けて用いられる。
 明石縮の織布の縮みのような縮み髪の女はその髪のように恋に心を乱し、明石の御方の方へ忍ぶ、と付く。
 二十六句目。

   織布のちぢみ髪にもみだれぞめ
 あかり窓より手をもしめつつ   宗因

 あかり窓は明かりを取るための障子を張った窓。
 「手を締める」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 相手の手を握りしめる。多く、男が恋する女の手を握る時にいう。
  ※俳諧・犬子集(1633)七「度々人の手をばしめけり 折やつす山の早蕨たばねわけ〈徳元〉」
  ② やり方をひきしめる。きびしくする。
  ※評判記・難波の㒵は伊勢の白粉(1683頃)三「もと作りからそれしゃが手をしめていたほどに出来のわるからう筈もなし」
  ③ 商談、約束、または和解などの成立、会合の終わりなどを祝って、参会者一同が拍手する。手締めをする。また転じて、めでたく結着をつける。手をたたく。
  ※俳諧・新続犬筑波集(1660)七「双六の手をもしめあふ戯れに たがひにういつうかれめの袖〈似空〉」
  ※歌舞伎・小袖曾我薊色縫(十六夜清心)(1859)四立「いい所を二三番受たら、手を〆てお仕舞被成い」

とあり、この場合は①の意味。ちなみに③は今日で言う「手締め」のこと。一本締めと三本締めがある。
 禁じられた仲なのか、あかり窓を開けてこっそりと手を握り合う。

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