2020年2月25日火曜日

 だいぶ日本でもCOVID-19の感染者が増えてきたが、日本では移動制限のようなことはしない。あくまで自粛ムードを作ることに専念する。強制ではないが、何となくそうしなくてはいけないような雰囲気というのは、マルクス・ガブリエルの言う「ソフトな独裁」なのだろうか。
 昔からよく日本は「最も成功した社会主義国家」と呼ばれるが、その大きな特徴は独裁者がどこにもいないところだ。「独裁者なき空気の独裁」とでも言うべきなのだろう。
 空気というのはこっくりさんのようなもので、本当は誰かが動かしているのだけど、それとわからないようにソフトに動かし、回りも容易にそれに同調するから、自然にそうなったかのようにメッセージが現れる。
 和辻哲郎は天皇も「空」だと言ったが、実際日本の皇居には聳え立つ宮殿のようなものはない。何もない「空」の支配こそが日本なのだといえよう。
 欧米の哲学は「力(権力をも暴力をも表わす)」の均衡を目指すが、日本では力を隠す。
 あからさまに警察や軍隊などの暴力装置によって移動を封じ込めるのではなく、自粛ムードを作ることによって自発的に移動しないようにする。
 このやり方が功を奏するかどうか、世界の人は注目していいと思う。

 さて、昨日から旧暦二月、如月、令月ということで、また俳諧を読んでいこうかと思う。
 今回は随分前に読んだ『宗因独吟 俳諧百韻評釈』(中村幸彦著、一九八九、富士見書房)を久しぶりに読み返してみようかと思う。
 ここで紹介されているのは『宗因七百韵』(延宝五年刊)所収の宗因独吟「口まねや」の巻で、制作年代は不明。
 まず発句だが、

 口まねや老の鶯ひとり言     宗因

 「口まねに老の鶯のひとり言(す)や」の倒置と思われる。
 鶯は外の鶯の囀るのを聞いて、それを真似して囀るようになるという。飼われた鶯は、鶯笛で鳴き方を教える。
 中村幸彦氏は若い者の真似をしてこの御老体も独吟とやらをやってみようか、という風に解釈しているが、ここはむしろ梅翁自ら若い者に見本を示すために、この独吟百韻を作ったのではないかと思う。宗祇法師の『宗祇独吟何人百韻』のようなものではなかったかと思う。
 発句の意味はしたがって、後輩たちの口真似のためにも老いの鶯がここで独り言(独吟)を一巻奉げようではないか、という意味ではないかと思う。
 脇。

   口まねや老の鶯ひとり言
 夜起きさびしき明ぼのの春    宗因

 年寄りは早く目が覚める。若い頃は昼まで爆睡できたのに、歳を取るごとに、自然と早く目が醒めてしまうようになる。それもまだ暗い曙に目が覚めてしまう。最後の「春」ほ放り込み。いわば後付けの季語。俳諧ではよくある。
 第三。

   夜起きさびしき明ぼのの春
 ほの霞む枕の瓦灯かきたてて   宗因

 「瓦灯(くはとう)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 灯火をともす陶製の道具。方形で上がせまく下が広がっている。〔文明本節用集(室町中)〕
  ※俳諧・毛吹草(1638)五「川岸の洞は蛍の瓦燈(クハトウ)哉〈重頼〉」
  ② 「かとうぐち(火灯口)①」の略。
  ※歌舞伎・韓人漢文手管始(唐人殺し)(1789)四「見附の鏡戸くゎとう赤壁残らず毀(こぼ)ち、込入たる体にて」
  ③ 「かとうびたい(火灯額)」の略。
  ※浮世草子・好色一代女(1686)四「額際を火塔(クハタウ)に取て置墨こく、きどく頭巾より目斗あらはし」
  ④ 「かとうまど(火灯窓)」の略。
  ※俳諧・桃青三百韻附両吟二百韻(1678)延宝五之冬「つづれとや仙女の夜なべ散紅葉〈芭蕉〉 瓦灯(クハトウ)の煙に俤の月〈信章〉」

とある。ここでは①であろう。陶器製のランプと考えていい。
 陶器のスリットから光が漏れるだけなので、行灯ほど明るくはないが寝る時にはちょうど良い。それを「ほの霞む」とすることで春の季語となる。ただし本来の春の霞とは違うが、俳諧ではそれで良しとする。実質季語ではなく形式季語になる。
 「かきたてて」は灯心をかきたてることをいう。
 四句目。

   ほの霞む枕の瓦灯かきたてて
 きせるにたばこ次の間の隅    宗因

 ここでは時間は曙でなくてもいい。暗い中、瓦灯のほのかな灯りで煙管と煙草を探していると、隣の部屋の隅にあった。あそこまで取りにいくの、面倒くさいなあ、というところか。
 五句目。

   きせるにたばこ次の間の隅
 気をのばし膝をも伸す詰奉公   宗因

 「気をのばし」というのは「気延(きのばし)」のことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 心の慰め。気晴らし。気散じ。
  ※俳諧・犬子集(1633)二「見る春も気のはしをする梢哉〈重頼〉」
  〘名〙 のんびりすること。気晴らし。
  ※雑俳・黛山評万句合(1757‐59)「束帯の気のべはぬぐとかしこまり」
  〘名〙 気持。気だて。気性。心ばえ。
  ※浄瑠璃・曾我会稽山(1718)四「若けれども亀菊は、侍まさりの気ばへといひ、義理強ひは傾城の習ひよもや如在は致すまじ」

とある。ここではのんびりするの意味か。
 「詰奉公(つめぼうこう)」はweblio辞書の「歴史民俗用語辞典」に、

 「常に主人の前に勤務していること。」

とある。
 主人がいつも見ているので、普段は緊張し、きちっと正座しているが。主人がいないときには、部屋の隅で気も膝も伸ばし、ちょっと一服煙草を吸う。
 六句目。

   気をのばし膝をも伸す詰奉公
 お鞠過ての汗いるるくれ     宗因

 前句の「膝をも伸す」を足を崩すことではなくストレッチのこととする。
 蹴鞠が終って日が暮れて、汗を抜くえば張り詰めていた気持ちも緩め、膝を伸ばす。
 七句目。

   お鞠過ての汗いるるくれ
 月影も湯殿の外にながれ出    宗因

 蹴鞠が終った後はサウナでまた一汗。月の光も冷水も湯殿の外に流れ出ている。
 八句目。

   月影も湯殿の外にながれ出
 ちりつもりてや露のかろ石    宗因。

 かろ石(軽石)は角質を取るのに用いる。ただ、軽いので水を流すと塵と一緒に流れて行ったりする。

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